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聴く、ことの力

  このところ、ウクライナの書き込みが続きましたね。ちょっと饒舌になりすぎたかなと反省しています。今、情報が多すぎますね。心が疲れてきた、というところ、ありませんか?「情報戦」まさに情報が「戦争」になっている、そんなところありますね 。 私はちょっとその流れに影響されてしまったのかもしれません。 今これを私は病院の一室で書いています。 明日朝から、全身麻酔で手術を受けます。別に、その手術自体で、生きるか死ぬかの瀬戸際ということではありません。長い目で見ると、もしかすると命にかかわるかもしれないものが、大変運よく、奇跡的といってもいいほどの、まったくの偶然の流れで3か月ほど前に見つかったのです。 経過観察をしたら、まだあるね、ということで、取っていただけることになりました。 方向性が決まるまでは、最悪の事態をつい想像してしまうと、ともすると深く暗い淵に落ちていくような、そんな気配もありました。しかし、そんな気配を感じたときに、私を光のほうに引き戻してくれたのが、 Faith です。 Faith って、日本語には訳しにくい。信仰、というのが辞書的な訳語です。でも、特定の宗教を持たない人はちょっと違和感のある言葉ですよね。信念?そうとも言えます。 ただ「信じている」、あるいは「確信」していること、その二つを足してに2で割ったような、そんなものでしょうか。 何への Faith かというと、それは、 このブログにこれまで書いてきたことすべてへの Faith です。 宇宙を、大いなるものを信じて、それに対してすべてを委ねること。 明け渡せば、心には正しく、清く、明るいものが入ってくること。 心が明るいもので満たされれば、明るい未来がやってくるということ。 そして、宇宙を信じれば信じるほど、宇宙はよき知らせ、明るい未来、光で応えてくれるということ。 ここ数か月の間、生と死、について、いつもよりもたくさん考える機会がありました。 そもそもコロナ禍で、そういう方、多いと思います。 そんな中で勃発した戦争、毎日届く、心がはりさけそうになるようなつらい映像。 そして個人的には、みつかった病変がどうなるのか、そしてどうするのか?という、3か月という、経過観察に必要な時間が経つまでは、結論が出ない、という宙ぶらりんで不安定で