真言宗をはじめとする日本の仏教において、「お経」は極めて重要な位置を占めている。お経の根底にあるものは、本来「マントラ(真言)」である。そしてマントラにおいて最も本質的な要素は、他でもなく「音」そのものだ。 日本の般若心経や真言で唱えられる言葉は、サンスクリット語の音を漢字の音写によって表したものである。タントラと仏教がインドから中国を経由して日本へ伝来する過程で、その響きが漢字に置き換えられた。しかし、本質的に重要なのは、その元となったサンスクリットの音韻。なぜなら、音韻の一つひとつに意味が宿り、宇宙の根源であるシヴァの本質とは「スパンダ(Spanda=微細な振動)」であり、振動とはすなわち「音」に他ならないからだ。 それぞれの音には固有のエネルギーと意味があり、音の周波数に従ってこの物質世界の諸現象が紡ぎ出されたとされる。そして、すべての根源的な音であり、あらゆるお経やマントラの冒頭に置かれるのが「AUM(オーム/オン)」というマスター・マントラである。 サンスクリット原形である「A-U-M」の音韻構造とタントラ的意味合いは、以下のように整理される。 A(ア) :現象界の目覚めの状態、創造、あらゆる始まり。 U(ウ) :夢の世界、維持、プロセスの継続。 M(マ) :深い眠りの世界、崩壊、そしてすべての統合。 沈黙: A-U-Mの響きが消え去った後に訪れる静寂。すべての源泉である絶対的真理(ブラフマン/空)を表す。 タントラやヨーガにおいて、「AUM」は宇宙が発する原初の一音であり、人間の心身のエネルギーを宇宙根源の周波数へとチューニングするための極めて重要な振動。だからこそ、マントラはAUMから始まる。 金縛りという「不動(アチャラ)」と幽体離脱 タントラ、クンダリーニ・ヨーガ、あるいは伝統的な瞑想の実践において、高度な呼吸法(プラーナヤーマ)や意識の一点集中を推し進めると、肉体がピタリと動かなくなる「不動の状態」が生じることがある。いわゆる「金縛り」現象である。 タントラの教えでは、呼吸(プラーナ)、心(マナス)、そしてエネルギーの通り道(ナディ)は不可分の関係にある。呼吸法によって体内の微細なエネルギーの均衡が達成されると、思考の波や身体の反射運動が収まり、自然と身体が微動だにしない深い静寂(不動:アチャラ)へ...
このブログを訪れた方は、私は一体どんなスピリチュアルな生活を送っているんだろうと思ったりされるかもしれないが、私は実は会社員として組織に身を置いている。いや、会社員であることと、スピリチュアルであることは、実は二律背反ではなくて、共存可能どころか、むしろ「目覚め」は仕事に大いに活きるということが今の私の率直な想いだ。その在り方というか方法論を構築していきたいと考えているが、それはまた別の記事で掘り下げたい。さて、私はときに企業を代表して発言する立場にもあるが、そのような「立場」では、このブログで扱っているような領域について大っぴらに語ることは、やはりまだ許されていないのが実情だ。だから私は匿名で語るし、YouTubeで語りたいと思っても、顔出しで語ることはできない。 なぜか。それは「聖なる女性性」を巡る教えそのものが、人類の歴史において常に権力構造やメインストリームの支配層から危険視され、迫害を受け続けてきた背景があるからだ。これは現代の会社組織や社会秩序に限った話ではなく、気が遠くなるほどの太古から繰り返されてきた歴史がある。 人の魂は、この物質世界に生まれ落ちた瞬間、大いなる源泉―― カシュミール・シャイヴァ派でいうシヴァ(Śiva)、あるいは日本の密教でいう大日如来(Mahāvairocana)――すべての現象の根底にある究極的な意識・真如 から切り離されたかのような錯覚を抱く。元々はそこから現れ、その源泉とまったく同一の存在であるにもかかわらず、肉体という限定の中に置かれることで、自らの本質を忘却してしまうのだ。その幻想の姿をMayaという。 本来、人間に課せられた真の目的、生きる意味とは、数々の古来の聖典が示している通り、自らの本質的な出自を思い出して内在する力を全開にし、この現実社会において調和と美を創り出すことにある。歴史を紐解けば、この真実が当たり前の前提として共有され、実践されていた時代が確かに存在した。そしてその伝統は、幾多の帝国の興亡とともに形を変えつつも、多様な文明へと密かに受け継がれていったのである。 記録に残る最も古い「女神信仰」の体系の一つに、古代エジプトのイシス(Isis)信仰がある。紀元前2500年頃の古王国時代の碑文(ピラミッド・テキストなど)にもその名が見られるが、当時の記述にさえ「それ以前の何千年も昔の神々から受け...