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ディセンション:宙ぶらりん、停滞、落ち込む時

お久しぶりです。 連日、荒れた空模様の日本全国、世界各地、いかがお過ごしでしょうか。 そういえば、昔、 ラジオは一対一のメディアだから、話すときは「みなさん」ではなく、「あなたは」と二人称で語りかけるようにしなさいと言われたことがあり、ブログは、どうなんだろう?とふと思いました。 みなさんお元気ですか?というと、不特定多数に対して言っている感じ。 あなたはお元気ですか? と言った方が、しっくりくる気がしますね。 先週は、夏休みをとって娘と山に行っていました。久しぶりの大自然、かなり心がゆったりしました。 今週は娘が父親と旅行に行ってしまい、私は一人東京でリモートワーク。 静かな家で、 仕事もひさしぶりに落ち着いていて、なんだかふと一息をついているとだけど、 心がざわついています。 夏休みの終わりに悲しくなる子供のような気持ちでもあり、 自然の中から東京にもどり、 私はパソコンに向かって一日中仕事をして、 その落差に、とまどっているというか、落ち込んでいるというか。。。 ディセンション、という言葉を聞いたことありますか? アセンションの反対語です。 覚醒して、次元上昇して、上がっていくのがアセンションですが、 その登る過程では、三歩進んで二歩下がる、みたいなことが起き続けます。 せっかくアゲアゲで来たかと思ったら、突然崖から突き落とされる感じ、経験していませんか?今まさに私がその状態です。 もうほぼ上り?状態に近いような気がしていた一ヶ月くらい前と比べると、えらい違い。 体の感覚は相変わらず変容している状態は保っているものの、やたらと気持ちが落ち込みます。 ぶれるし、揺れるし、小さな事をやたら大きく捉えるし、またぞろ、もうあちらの世界に行ってしまいたい、なんで思ったり。 そして何より神様に対してイライラ、怒っています。 変容させてくれるのもいいけど中途半端な蛇の生殺し状態におかれるのは酷すぎると、いい加減にして!と、神様にブチ切れています、笑。 なんだったら、神様と喧嘩しています。 でも、そういう時もあっていいと思うんです。 ただひたすら登っていくなんておかしいんです。 上がれば上がるほど、高層ビルみたいに揺れた時の揺れがすごいんです。 だからこそしなやかな基盤がなくてはいけない。 ライトボディ への段階でも、上の方でかなり大きなディセンションを、経験すると言われてい...

アセンションが起きる人にありがちな傾向:第一原因、神、なぜここにいるのか、に根源的な興味がある フローラのほんとの話1

小さい時から、なぜ自分はここにいるんだろう、この世界はどうしてこうなっているんだろう、この世界とここで生きることになんの意味があるんだろう、そういう根源的・本質的な質問を自分に繰り返し問いかけ続ける傾向があった人は、たぶん、遅かれ早かれみんなアセンションして行くと思います。 わたしは、いろんな国を転々として育ちましたが、どの国に行っても、国語や歴史や哲学などの文系の科目はとびきりよくできて、学びはじめて1年目くらいの外国語でさえ、その国の統一テストで結構上の方の点数がとれるくらい、妙に「ことば」の能力が高かったです。 そのおかげで、いまもシングルマザーなりに食べていけてるのですが。 同時にことばに長けすぎて言葉で足元をすくわれることも多かったりしますね。 口に出した、あるいはメールに書いた表現の攻撃力が高すぎて誰かに必要以上にダメージを与えてしまったり。 海外に住んでいる時、土曜日にある、補習校、という日本人の子女のために文部省が教師を派遣して運営している週一度の日本人学校では、すぐに図書室の本を全部読んじゃうし、 小学低学年なのに日本からの出張者がもってくる文藝春秋を全部読んでました。 その中で一番衝撃を受けたのが、たぶん小学校二年生のときに母親が「日本で流行っているみたいで、聖徳太子のお話だから」と日本から全巻取り寄せた、山岸涼子さんの「日出処の天子」。これはエグい話ですよ。 一言で言うと、生まれながらにアセンションしてしまっている厩戸皇子が周囲との間に感じる隔絶感をどう乗り越えるのか、はたまた乗り越えられずに終わっていったのかもしれないというどうにも救われないお話でございます。 もし、お読みでなくて興味があったら、読んでください。 この厩戸皇子を読んで、わたしの中で眠っている血が呼び覚まされたのでしょうな。 数年前にわかったのですが、わたしの父方の家は、日本の、血統で宗門を受け継いでいる仏教の家系の出で、DNAでいえば厩戸皇子のものもわたしの中に理論上たぶん入っているはずなので、なにかがスパークしちゃったんでしょう。 影響受けて当然といえば当然だったのです。 宇宙の摂理、森羅万象、ヤオロズの神、ここより大きな何か、そういった、まだ小さな自分の中で、表現できることばがみつからずに蠢いていた「何か」への希求が、「日出処の天子」で厩戸皇子が目指したものを感じることに...