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クンダリーニ上昇と覚醒には筋膜Fasciaネットワークの活性化が必要不可欠 The importance of activating fascia networks for Kundalini awakening and Pratibha: are Fascia the modern "Nadis"?

ヨーガ、瞑想の鍛錬で身体に訪れる変容と「筋膜」への着目 タントラやヨーガにおいて、クンダリーニの上昇が始まり、覚醒のレベルにともなって心身の変容が進むにつれ、関節の柔軟性が増し、身体が宇宙エネルギーに自動操縦されるように動いてゆく(Kriyaの発展形)と語られている。こうした感覚が実際に体に訪れると、確かに体がなめらかに、柔軟に動くようになるが、それはただそう「感じる」のではなく、実際に肉体に変容が起きるものだ。私の場合、スキーで断裂した左膝の前十字靭帯の再建手術の後、周囲の組織が癒着して、なかなかスムーズに動かなくなった膝が、体全体が自動操縦化されて行く段階で滑らかに動くようになり、ついには正座や、アシュタンガで大きく膝を曲げるアサナも難なく取れるようになった。これは、チャクラが通った、というだけでなく、体の組織自体が変って来ていることを強く感じた。この体の動きは、いったい何によってもたらされているのか?と考えた時、私はそれは全身を覆う 筋膜 だと考える。 Note: ここで言う筋膜は、本来は「Fascia =ファシア」と医学的には原語のまま使用されていて、本稿で扱う、体全体のネットワークの役割を担うのは本来的にはFasciaというべきで、筋膜はその一部、ということになるが、便宜上、一般的には日本語ではファシアはなじみがないので、筋膜=Myofasciaという言葉を使うが、意味するところはFasciaである。 近代西洋医学は、ルネサンス期より盛んにおこなわれるようになった人体解剖に端を発することから、身体を部分・部分に分け、パーツに分解して観察する「還元主義」によって発展してきたため、長らく全身を繋ぐ結合組織、筋膜などは単なる「詰め物」として看過されてきた。しかし、現代の最新科学や解剖学的研究によって、筋膜は実は人体最大の器官として、ホーリスティックに機能していることが解明されてきている。その筋膜の驚くべき高度な機能について学ぶにつれ、私がは筋膜こそが古代から語られてきた「ナディ」や、中医学における経絡の物理的実体ではないかと考えている。だからこそ、クンダリーニの覚醒においては、筋膜の活性化が非常に重要な役割を果たしているのではないか。 タントラにおける身体変容と「ナディ」の概念 インドの伝統医学やタントラの経典では、体内に「ナディ」と呼ばれる微細なエネルギーの通...

【密教とタントラ】 ── 音韻と「不動」が生む解脱への「方便」Tantra and Tantric Buddhism - Usage of Mantra and Out of Body Experience as means to awaken Kundalini - Upaya

真言宗をはじめとする日本の仏教において、「お経」は極めて重要な位置を占めている。お経の根底にあるものは、本来「マントラ(真言)」である。そしてマントラにおいて最も本質的な要素は、他でもなく「音」そのものだ。 日本の般若心経や真言で唱えられる言葉は、サンスクリット語の音を漢字の音写によって表したものである。タントラと仏教がインドから中国を経由して日本へ伝来する過程で、その響きが漢字に置き換えられた。しかし、本質的に重要なのは、その元となったサンスクリットの音韻。なぜなら、音韻の一つひとつに意味が宿り、宇宙の根源であるシヴァの本質とは「スパンダ(Spanda=微細な振動)」であり、振動とはすなわち「音」に他ならないからだ。 それぞれの音には固有のエネルギーと意味があり、音の周波数に従ってこの物質世界の諸現象が紡ぎ出されたとされる。そして、すべての根源的な音であり、あらゆるお経やマントラの冒頭に置かれるのが「AUM(オーム/オン)」というマスター・マントラである。 サンスクリット原形である「A-U-M」の音韻構造とタントラ的意味合いは、以下のように整理される。  A(ア) :現象界の目覚めの状態、創造、あらゆる始まり。  U(ウ) :夢の世界、維持、プロセスの継続。   M(ム) :深い眠りの世界、崩壊、そしてすべての統合。  沈黙: A-U-Mの響きが消え去った後に訪れる静寂。すべての源泉である絶対的真理(ブラフマン/空)を表す。 タントラやヨーガにおいて、「AUM」は宇宙が発する原初の一音であり、人間の心身のエネルギーを宇宙根源の周波数へとチューニングするための極めて重要な振動。だからこそ、マントラはAUMから始まる。 金縛りという「不動(アチャラ)」と幽体離脱 タントラ、クンダリーニ・ヨーガ、あるいは伝統的な瞑想の実践において、高度な呼吸法(プラーナヤーマ)や意識の一点集中を推し進めると、肉体がピタリと動かなくなる「不動の状態」が生じることがある。いわゆる「金縛り」現象である。 タントラの教えでは、呼吸(プラーナ)、心(マナス)、そしてエネルギーの通り道(ナディ)は不可分の関係にある。呼吸法によって体内の微細なエネルギーの均衡が達成されると、思考の波や身体の反射運動が収まり、自然と身体が微動だにしない深い静寂(不動:アチャラ)へ...

【閑話休題】Gupta Yogi, Āveśa, and Laghima ――7歳の夜、異国の地で「重力」が消えた原体験:「純粋意識」と軽さの恩寵

今回は一歩引いて、俯瞰したところから書いてみたい。 長年続いてきた歩みが今、どこに向かうべきなのか、なぜ起きていたのか、今鮮明に見えてきている、というより、「わかる・感じる」というべきか。 そもそもなぜ私は、10年以上に渡って(一度別のブログを閉鎖しているのでそれを含めると10年以上になる)、ブログで己の体験と向き合い続けてきたのだろうか。その原点は、私の幼少期の「ある一夜」に遡る。 新宿の副都心から、西ヨーロッパの田園風景へ 私は北米で生まれ、大学で日本に戻るまで、さまざまな国を転々としながら育った。 小学校1年生のとき、全く日本語の通じないフランス語圏の片田舎へと引っ越すことになった。現地の小学校に編入するまでのいくばくかの期間、何もすることがない静かな時間があった。 それまで住んでいたのは、高層ビルが立ち並ぶ東京・新宿の副都心。それが突然、西ヨーロッパの田園風景の、古いユダヤ系貴族の屋敷へと移り住むことになった。 夜になると周囲は漆黒の闇に包まれ、気持ち悪いほどに無数の星が輝いていた。家の中にいるのは、家族とハウスキーパー、そして1匹の大型犬だけだった。 ある日の夜、私は慣れないベッドに横たわりながら、暗闇の中で天井を見つめて、ふと次のような考えが浮かんだ: 「私の名前は〇〇〇〇。でも、この広い土地でその名前を知っている人は誰もいない。今は夜で、みんな寝ている。私の名前を知っている家族も寝ている。私の名前を伝える言葉すら、誰にも通じない。私のことを知っていた友達や先生たちは、遠く遠く離れた日本にしかいないんだ」 その瞬間、強烈な問いが頭をよぎった。 「私って、本当にこの世界に実在しているのだろうか? これを考えている、私の頭の中だけの存在なんじゃないだろうか。だって今この瞬間、私が存在することを証明できる人なんて誰一人いないのだから……。私って一体、何なんだろう?」 身体から重力が消えた瞬間 ――「ラギマー(Laghima)」の体験 それは恐怖や不安といったネガティブな感情ではなく、きわめて鮮明な「身体感覚」として訪れた。 そう感じた瞬間、 ふわっと自分の身体が軽くなるのを感じた。 仙骨のあたり(ベースチャクラ/ムーラダーラ)からエネルギーが立ち上がり、全身にかかる重力を無力化していくような「軽さのセンセーション」だった。ベッドの上に横たわったまま、まるで自分...