十数年前、奈良奥吉野の天川に縁あって行く機会をいただき、宮司の弟さんに嫁いだ方が経営されている民宿にも泊まり初めて数年。
行きすぎると良くないとも言われたりしましたが、願い事は全てかなって来まし。おそらく、
気に入られて、
やるべきことをやりなさいと、言われていたんでしょう、
そこから始まった大きなうねりは止まるところを知らず、ここまで来ております。
昨日、その天川に最初に一緒に連れて言ってくれた旧知の友人と、彼を天川に最初に連れて行った友人と、彼らとわたしをつなぐ会社の社長さんと四人で、降り注ぐ初夏の太陽を避けるパラソルの下でランチをしました。
その社長にかつて特訓を受けていて、衝突ばかりしていましたが、その頃言われたことをずっと気にして、直さないとなと、いきて来ました:
「君は、足をすくわれるとしたら人間関係だよ」。
生意気で強気で人の言うことを聞かなかった20代のわたし。
それでも可能性を感じて引っ張ってくれていた社長。
ずっとそりゃそうだと思い、頑張って来ましたよ、と伝えたら、
「いやー僕は自分が好き勝手なことやってきたから、自分を見てるようで、それでそう言いたくなったんだと思う。でも昨日、昔からの仲間と飲んでさ、飲みすぎちゃったんだけど、みんな70代になっても元気で。その共通点は、みんなわがままで自分の好きなことだけやって好きなやつとだけ付き合ってきたってことだから、まぁそのままでいいってことだよ」とカラカラと笑われました。
なんだか長いこと頑張ってきたことが、こだわってきたことが、ふわりと一気に溶けて行ったような、そんな感じの瞬間でした。
おい!というツッコミをみんなで社長に入れましたが。
お別れした後、同じ方向に少し歩くことになった、そもそも天川のはじまりだった友人が急に
「わたし今週末十数年ぶりに天川に行くんだ」
と言うのです。
天川についてはまた書きますが、、、。
あ、そういえば、天川の教えで大事なことの一つが、誰かに対して劣っていると言う無意識に突き動かされてその人や周りに意地悪になっている人は成功しない、ということです。
他人と自分を比較しても無意味。
自分は自分だから。
この神社はあと、凶がおみくじで良く出ることで有名ですが、一度引いたら凶で、大きな仕事を控えていたので嫌で、もう一度引いたらまた、凶で、もう一度引いたらまた凶でした、そしたら神社の人に、もうなんと引いてもおんなじことだからやめなさい、天川ではしかも凶は、これからよくなるってことでいいんですよ、といって笑われました。
つまり、辛いことがあっても、それは幸いなんです。
字が似てるでしょ。
おやすみなさい。
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