ものすごーくお久しぶりになってしまいました。
今日、ヨガスタジオにいったら、スタッフの方から「〇〇がブログの記事お願いします」と伝えてって言ってました、と言われました。
わたしは実はブログのデータだけはほぼ毎日見てるんです。
なんでかって言うと、いつの頃からか、ブログのアクセスデータでやたらゾロ目が多くなって、エンジェルナンバーばかり並ぶことが頻繁に起きるようになって、それぞれの数字の意味を調べると、メッセージが伝わる感じがしたからなんですよね。
それと、何も更新できていないのに、毎日一定数の方が訪れてきてくださっていて、何か書いてないかなって、何ヶ月も書いてないのに見にしてくださる方がいるんだなぁ、ってつくづく感謝です。
書いてなかった理由。。。うーん、なんかもうコロナについてはいったんかき切ったなぁというところがあったのと、自分の中から湧き上がる様な社会への不安とか不満とか、ルサンチマン的なものが、しーーーん、となった、と言うのが一番大きな理由かもしれません。
コロナみたいなことが起こるだろうな、とずっと思っていて、それがきっと今年あたりなんだろうな、と思っていたらやはりそうなり、最初はおーーー!となってたくさん書いたんだけど、コロナに伴って四ヶ月ほど田舎暮らしをして、自然と家族と密に過ごす時間を経て、それも落ち着き、うんこういうことね、って納得感があって、書いてなかったのです。
でも、勝手にうんこういうことね、って自己完結しても、誰もわからないから、きちんと書き出さないとなーとは思っていました。
きっと、不安に思ってたり、あるいは、不安にはおもってなくても、知りたいと思っている人にとって、なんらかのみちしるべのようなことが書けるかもしれないので。。。
あとは、現実的にも、疎開が終わって東京に戻ってきたのは、コロナの第二波が襲ってきてる最中に転職が決まり、以前の家から引っ越すことを決めて、新しい仕事で忙しくなっているところに引っ越しで、とにかく忙しかった、というのがあります。
九月なんて残業が100時間くらいになってしまって。
でも、心配しないでください、仕事が楽しくてついついやり過ぎてしまった、という感じなので。
仕事も、とても気に入っていて、良い上司と良い同僚に囲まれています。
そして多分、ほぼ例外なく、みんな良いハートを持っている人たちです。
ああ、何かを抜けてここに到達したんだなぁという感慨を1日のうちに何度も感じます。
そして、ずっと住みたいと思っていた都会の中のオアシスの様な落ち着いたエリアに住むことができて、なんだか自分の思い描いていたことが全て叶ったなぁ、不思議だなぁ、と思いながら、あっという間に三ヶ月が過ぎていました。
何より大事なことは、自分自身が幸せなこと。
誰かや、何かのブランドに依存するのではない。依存するのは幸せではなく、みせかけの幸せでその実依存でしかないんですね。
それが、やっと体を持って実感できる様になったんだとおもいます。
自分の中から、幸せだなぁ、と実感するということ。
何かに掻き立てられたり、焦る必要はなく、今ここにあって幸せだなぁと感じることができること。
それが、コロナが私にもたらしたことです。
価値観の、パラダイムシフトです。
わかっていても、なんだか実感として感じられなかったのは、世界がまだその価値観へと変換していなかったからなんだろうとおもいます。
その古い価値観が、いまどんどんと雲散霧消していっています。
音を立てて崩れると言うよりも、モヤが晴れるみたいに、サァーっとなくなっていっています。
12月22日に、完全に水瓶座の時代へとシフトしますが、まさに新しい価値観に移っていっていて、古い価値観はまるで蜃気楼が消失していっています。その辺りのことを、ちょこちょこ書いていきたいなと思っています。
今更ながら、疎開先をたつ時に、綺麗に咲いた娘が植えた朝顔の花。
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