このブログを訪れた方は、私は一体どんなスピリチュアルな生活を送っているんだろうと思ったりされるかもしれないが、私は実は会社員として組織に身を置いている。いや、会社員であることと、スピリチュアルであることは、実は二律背反ではなくて、共存可能どころか、むしろ「目覚め」は仕事に大いに活きるということが今の私の率直な想いだ。その在り方というか方法論を構築していきたいと考えているが、それはまた別の記事で掘り下げたい。さて、私はときに企業を代表して発言する立場にもあるが、そのような「立場」では、このブログで扱っているような領域について大っぴらに語ることは、やはりまだ許されていないのが実情だ。だから私は匿名で語るし、YouTubeで語りたいと思っても、顔出しで語ることはできない。
人の魂は、この物質世界に生まれ落ちた瞬間、大いなる源泉―― カシュミール・シャイヴァ派でいうシヴァ(Śiva)、あるいは日本の密教でいう大日如来(Mahāvairocana)――すべての現象の根底にある究極的な意識・真如から切り離されたかのような錯覚を抱く。元々はそこから現れ、その源泉とまったく同一の存在であるにもかかわらず、肉体という限定の中に置かれることで、自らの本質を忘却してしまうのだ。その幻想の姿をMayaという。
本来、人間に課せられた真の目的、生きる意味とは、数々の古来の聖典が示している通り、自らの本質的な出自を思い出して内在する力を全開にし、この現実社会において調和と美を創り出すことにある。歴史を紐解けば、この真実が当たり前の前提として共有され、実践されていた時代が確かに存在した。そしてその伝統は、幾多の帝国の興亡とともに形を変えつつも、多様な文明へと密かに受け継がれていったのである。
記録に残る最も古い「女神信仰」の体系の一つに、古代エジプトのイシス(Isis)信仰がある。紀元前2500年頃の古王国時代の碑文(ピラミッド・テキストなど)にもその名が見られるが、当時の記述にさえ「それ以前の何千年も昔の神々から受け継がれた」とある。イシス信仰の起源がいかに遥かな太古に遡るかが窺い知れる。
このイシスの「秘教(Esotericism)」あるいは「密教」の系譜は、ギリシャのポリテイスム、ローマ帝国の神秘主義、ペルシアのゾロアスター教などと交錯しながら歴史の水面下を生き延びてきた。後世においては、テンプル騎士団や薔薇十字団(Rosicrucians)、マダム・ブラヴァツキーらの神智学、あるいはフリーメーソンといった結社・神秘主義運動へと思想的伏流として流れ込んでいる。それだけではない。キリスト教(特に初期のグノーシス派)、ヒンドゥー教、仏教、イスラム神秘主義(スーフィズム)など、表舞台の主要宗教の中にも、その本質的なモチーフは形を変えて浸透し、生き続けてきた。
そして、このイシス信仰に端を発する「聖なる母性」の教えが、最も純粋な形で精緻化され、実践体系として昇華されたものこそが、タントラ(Tantra)であり密教である。
一般的に表舞台に立つ宗教(メインストリーム)と、密教・秘教との決定的な違いは、「二元論(Dualism)」と「非二元(Non-Dualism)」の捉え方にある。
二元論(Dualism)においては、「絶対的な神」と「不完全な人間」は明確に分離された別個の存在として捉えられる。一方、非二元(Non-Dualism)の立場――例えばタントリック・シャイヴィズム(Advaita Śaivism)――では、神と人間、宇宙と個は本質において不可分の一体(一元)であると捉える。非二元性こそが、タントラが存在する根本の意義であり、その根源的立脚点だ。
宇宙を発現させた第一原因であり、すべての源であるエネルギーから私たちは立ち現れている。ゆえに、私たちはその源泉から1秒たりとも切り離されたことなどない。私たちの身体を構成する細胞の一つひとつ、体内をめぐる体液、目にするすべての現象、口にするすべての恵みは、根源エネルギーそのものの現れである。この真実に目覚め、内に秘められた力を最大限に発揮して生きることこそが、聖なる女性性が教える最善の生き道である。
タントラ哲学において、宇宙の根源的意識・本源的な「振動(Spanda)」をシヴァ(Śiva)と呼ぶ。なお、擬人化された男性神としてのシヴァは、この根源的な宇宙意識が人間にとって知覚可能な形へと射影された下位の現れであり、根本の宇宙意識としてのシヴァとは区別される。
この意識そのものである「男性性(シヴァ)」は、静的な静寂である。それに対し、それを動的な物質世界として発現・創造せしめる力が「女性性(シャクティ / Śakti)」である。シャクティとは、すべてを生み出し、生起させる生産力(Productive energy)そのものだ。この宇宙的な生み出す力が、私たち個人の身体において最も基底にあるチャクラ(ムーラーダーラ・チャクラ)に眠る蛇として鎮座している状態――それこそが「クンダリーニ(Kuṇḍalinī)」にほかならない。
クンダリーニが眠っている間、人間は自らが宇宙と一体である事実に気づかず、世界を「自分と外部」に分断された二元論として捉えてしまう。権力者や教条的な宗教が説く「人間は罪深い存在であり、神と直接つながることはできない」「権力構造に奉仕し、身をすり減らして贖罪に励めば死後に救われる」といった蒙昧なドグマに支配されてしまうのも、クンダリーニが休眠しているからだ。その状態の人間は、世界から孤立し、深い孤独の中に置かれている。
しかし、密教や神秘主義が受け継いできた「聖なる母性信仰」はまったく異なる真実を告げる。「あなたは母なる神、すべての根源とすでに完璧につながっている。すべてはひとつであり、あなたは孤立した存在ではない。この美しく、混沌に満ち、無限に広がる豊かな世界のすべてと共振しており、あなたの意識の変容ひとつで現実は鮮やかに変容する」と。
そしてタントラには、この真実を単なる観念論ではなく、身体と心を通じて直接的に体感・実証するための具体策が授けられている。それが儀式(Pūjā)、マントラ(真言)、身体技法(ヨガやプラナヤマ)、そして観照の瞑想(Dhyāna)である。
個の中で眠っていたクンダリーニが覚醒し、脊髄(シュスムナー管)を上昇して頭頂のクラウンチャクラ(サハスラーラ)へと突き抜けるとき、個の女性性エネルギーであるシャクティは、宇宙の根源意識であるシヴァと再び完全なる結合(Maithuna)を果たす。
これによって、個の内部において女性性と男性性の至高の調和が達成される。人は自らが生まれ持っていた宇宙的な力と神的本性を完全に思い出して獲得し、「全き人間」へと至る。これこそが、タントラにおける真の「解脱(Jīvanmukti)」の意味である。解脱とは世俗の終わりや虚無への逃避ではなく、むしろそこから本当の意味での「生の歓喜」が始まるのだ。
内なる女性性と男性性が調和し、クンダリーニが上昇してシヴァとシャクティが一つになるとき、初めて姿を現す人間本来の生は、どこまでも楽しく、美しく、おおらかで、滑らかであり、溢れんばかりの愛に満ちている。
次回以降は、なぜ古代のイシス信仰がこのタントラの体系と結びつくのか、そしてそれがどのような歴史的変遷を経て現代に伝わり、さらには日本の地で開花した真言密教や、親鸞の教え(他力・絶対平等の境地)の深層へと受け継がれていったのかについて、さらに深く紐解いていきたい。
追伸:最近、目覚めとクンダリーニ覚醒において、「香り」の果たす役割の大きさを実感している。そんな中おすすめなのが、BullyのAl Kassirだ。「考古学者がツタンカーメンの墓を発掘したその瞬間に立ち上った香り」「第三の目」を開く香り、と謳われているから、まさに最適だ。ミイラを作るプロセスでも使われたというエレミ、ベンゾイン、そしてタントラの儀式でも使われるサンダルウッド(白檀)。シヴァとシャクティが完全に調和し、解脱した人からは、全ての悪いものが焼き尽くされたために、なんとも言えない芳香が立ち上ると言われている。その香りは、ミルキーなサンダルウッドのような香り。私自身、何もつけていないのに、ふと瞑想やヨガをしている最中に香る香りが、この香水に似ている。リンクはこちら

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