アセンションが進んでいくと、ソウルの方だけどんどん前進してしまって、体が置き去りになるという段階がところどころでおきます。
ちょっと前の私が、まさにそういう状況でした。アセンションの反対であるディセンションは、まさにほういう状況です。
その解決策がわからなくなるほど辛くなっていたので、恵比寿のPranaにいってボディワークとリーディングをしてもらいました。
スピリチュアル、代替医療の世界では、体と心、魂と心と霊界と体は、繋がっていると考えます。体は、魂の入れ物でもあり、この世界で私たちが暮らしていく素晴らしいいれものです。つまり、体自体が魂だと見ることもできます。
でも、霊的覚醒が進みすぎると、体が置いてけぼりになることがあります。
あるいは次元上昇にともなって、体に起きる変化が激しすぎて、ついていけなくなったりします。
こういう時、だいたいみなさん、「もう無理。
もうわかったから、この現実世界にいたくないから、そっちに行きたい」って思うんですよね。
これが、ディセンション。
まさに私、そう思ってました。
とにかく、軽井沢から車で東京に戻ってきた瞬間、ものすごい違和感で、異常に悲しくなって、ちっちゃいことで涙がとまらなくなったりしてたんです。
そうしたら、トリートメントをうけていたら、「なんか、この辺全体の悲しみのエネルギーをキャッチしてシンクロするアンテナが立ってます。どうも、軽井沢の空気が自然だけの透明でピュアなエネルギーだったところで浄化されて、東京に戻ってきたら人間の想念のエネルギーの厚さがすごくて、その、落差によって引き起こされてるぽいです」ととっしゃる。
そう、そうなの、異常な悲しみを感じていたんです!
それについて二人で話し合ったところ、これは、
「今まで私の中で置き去りになっていたトラウマが表面に湧き上がってきている」ということだろう、という結論。
つまり、ここ数ヶ月の私は、霊的覚醒が一気に進んで、体とか、現実とか、もういいわー!みたいなところまでぶっ飛んでいってたんですね。
というか、ここ数年ずっとそうだった。
でも、長年の間、私の中でたまってきた、人間としてのトラウマは、体のいたるところに刻まれている。それをもはや無かったことにしているようなところがあったんですが、
感情のエネルギーというのは、出してあかないと、体の中にたまっていくんです。筋肉繊維の中とかにね。
軽井沢にいったことがきっかけで、それがあくだしのように、表目に出されてきて、それで都会の、街中にある同じ周波数のエネルギーと呼応していた、ということ。
わたしの特徴は、広く、たくさんの人に向けて語りかける、ワークする、というものらしいので、そうなるなら、それでいいというアドバイスをもらいました。
つまり、この辺一体のエネルギーと呼応して、自分の中のトラウマも引っ張り出してきて、一度にリリースするワークをすればいい、ということなんです。
たしかに、それしか道はないように思います。
というのも、ここ数ヶ月の間、私の体の変なところが妙に硬かったり重かったり、出っ張ったりしていて、これは一体どうしたらいいんどろうと、途方にくれていたんですね。
トラウマのエネルギーがもりもりもりって表面に出てきていたのかもしれません。
なにか妙に悲しい、でもそれに具体的に呼応する理由がない、っていうときは、そういう現象が起きてるんだと思います。
むしろ、そういう状況をチャンスと捉えて、自分の中に蓄積されて感情の澱のあくだし、リリースをするチャンス!と、考えて見るようにしてください。
「ふむふむ、こういう感情が私の中にあったんだな、わかった、認めてあげよう、そしてもう解放しよう」と考えるだけで、リリースできるんです。
ぜひ、心掛けてみてください。
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