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願い事は声に出して言わないと届かない理由

ご無沙汰しております。 最後に書いたのが5月で、こんなに時間が経ってしまったのに、時々覗いてはコメントをくださる方がいらっしゃることに感謝です。 今年はスキーでほぼ断裂した膝の前十字靭帯再建手術からの、遅延型アレルギー、子宮筋腫と、今までのペースで体のことを考えずに生き急いでダメよ、というストップをかけられた年でした。いつのまにかもう11月も目前。 さて、そんな中、どうしてもこちらにお越しくださる方に伝えたいことがありまして、久しぶりに書いています。 願い事やアファメーションは声に出す方が良い、と良く聞きますよね。私もそう思ってましたが、なんとなく声に出すことって実はあまりなくて、心の中で思ってるから大丈夫だろうくらいに思ってました。 そうしたら、たまたまみたアメリカのチャネラーの方のYouTubeで、なぜ声に出さないといけないのか、ということを説明されていて、驚愕。 なぜか? それは、天使や、守護霊、高次元の存在たちにとって、人間と向き合うときに、何よりも大事にしないといけないのは、 自由意志 だから。 高次元の存在は、この三次元の世界の物理的制約がないので、なんでも瞬時にテレパシーのように伝わり、過去現在未来もなく、全てがただ「在る」世界にいます。 一方人間は、物理的制約の中で自分の力で成長するために地球に生まれてきた魂。 その人間にとって一番大事なのは、「自由意志」。 いろんな制約の中で、もがき悩みながらも、自分力で選択し、決断することで進むことが人間の最大の価値。だからこそ高次元の人たちは私たちの中にある想いを尊重して、中にまで入ってこないのです。 高次元の人たちには、体現できないものだからこそ、彼らは人間の頭と心の中をのぞかないのです。だから、心の中で言ってても、彼らには聞こえないの。 このため、ごく微かな声でもいいので、声に出して願い、アファメーションし、祈ることが大事。思えば、クリスチャンのお祈りでも、イスラム教徒でも、神道でも、祈りはすべて、発声されますよね。 そこには理由があったのですね。 心の中で言ってるだけでは、聞こえない、伝わらないから、声に出して言わないといけない、と知ると、俄然やる気出てきます。 だから?!なのかはわかりませんが、絶対絶命な状況で声に出して願ってみたら、かなったことがあります。 今、海外での研修のために成田空港に向かってる
最近の投稿

引き寄せの可視化・物理化

こんにちは。 今日はいいお天気ですね。 娘のプールのお稽古で車で遠出しています。 遠出と言っても車で15分くらいの住宅街なのですが、、、。 最近特にアセンションが加速していて、私もどんどんディセンション=統合が進行していますが、わかりやすいのがテレキネシスです。 覚醒した14年前に大変強いテレキネシス(ものを動かす超能力)が発生して、その後、琉球古武術と合気道をあわせた道場にいって呼吸法によってコントロールすることを学んだ結果、少しものを動かすことができるようになりました。といっても肌に磁石のようにものをくっつけて動かす程度で、触れていないものを明らかに動かす、ということはできませんでした。 それが、今年に入ってから、どんどん強くなって、そして3月に入ってから、物質の質感とエネルギーが変化して、従来のテレキネシス的なパワーが強くなったなぁと感じたので、ふとものを動かせないかやってみました。 スタウォーズのジェダイのようにしゅーっとは動かず、転がるものが転がる程度ですが、でも動かせます。 私はこれを 引き寄せの可視化・物理化 と呼んでいます。 というのも、自分のエネルギ=意志によって、ある程度質量や重量のある物体を動かせるのであれば、まだ物質化していない純粋なエネルギー状態である想念・夢・希望・意志・可能性などを引き寄せることはもっとずっと簡単なはずではないですか?それらは、量子として存在し、質量も計測不可能なほど軽く、重力も時間も空間も超克するわけですから。 「こうなりたい・こうなる自分」を想像したら、瞬時にそれを引き寄せられるはずです。 でも、大事なのは、その気持ちが焦燥感や恐れから発生しているのではなく、純粋ににそれを獲得した充足感を感じる、わくわくする、その状態を感じることによる喜びを感じているところから発生しているということ。でないと、その逆の不足状態の強化を引き寄せてしまうのです。 その証拠に、人にテレキネシスをおみせしようと焦ってしまう時は、モノは私の方に引き寄せられるのではなく、むしろ反発して遠くに転がっていってしまいます。でもその原理と動力源は一緒なのです。ただ、引き寄せているのではなく「遠ざけ」てしまっているだけで。焦って引き寄せようとすると、むしろ願望を遠ざけてしまうのです。 よかったら下記TikTokの動画をご覧ください、Bloggerは動画と

ディセンションについて

こんにちは。 ゴールデンウィークどのようにお過ごしですか。 最近、ディセンションに関する質問をいただきました。「ディセンションをしているのだけれど、ライトボディ化は進みますか?」という内容でした。 結論から言うと、前回書いたネガティブであっても大丈夫なのか?というご質問と同じく、「問題ない」です。しかし、ディセンションという言葉に対してまず誤解を抱いている方が多いな、と思うので、あらためてディセンションに関してちょっと解説します。 ディセンションとは、descension, で、descend降りてくる、という動詞の名詞で、要するに「降りてくる・降りる」と言う意味です。 どこから降りてくるのかというと、 より「高次元の自分自身」が、高次元から、この三次元の地球にいる自分自身に「降りてくる」のです。 なので、三次元にいる自分自身の波動が下がるとか、自分が何か悪いことをして次元がさがる?みたいな感じで「ディセンション」を捉えていらっしゃる方々多いのですが、それとは全く異なり、むし「次元上昇」=アセンション の過程で起きる一つのプロセスです。 より高いところ=4次元以上と言われていますが、そういった高い次元にいる自分自身の大元との「統合」でもあります。 これが起きると、何が起きるのかというと、特に身体においてと、物理的な現象において、捉えようによっては「不都合」や「不具合」「不快」と感じることが起きてきます。その一連の過程や現象を「ディセンション」と言います。 身体面で起きる一番一般的なものは、めまいと頭痛です。 めまいに関して。高次元では、時間・空間・重力・磁力などの法則が異なり、地球とは全くことなる世界です。簡単に言うと、時空を超えています。純粋にエネルギーの世界だと私はおもっていますが、そのエネルギー自体が、地球のものよりもずっと軽く、そして強いのです。 だからこそ、その高次元のエネルギーとつながると、そもそも地球で感じていたエネルギーと全然違うので面食らいますし、地球上にいながらにして高次元のエネルギーとつながると、自分がぐるぐる回っているような、体の中から螺旋状に右回りに回されるような感覚があります。 このため、いわゆるメニエール病と言われるような症状を覚えます。 実は、わたしの人生において今まで出会ったメニエールやめまいに苦しんでいる人は、大概とてもピュアな精

ネガティブでもアセンション できるのか?

非公開希望でご質問をいただきました。誰でも感じる疑問と思うので、こちらに回答いたします。 質問は、まとめると、ネガティブな自分はアセンション できないのでは?というものです。 結論からいいますと、ネガティブであっても、当然ながらいつだってアセンション に向かうことは可能です。 ネガティブな波動を経験したくて、地球で生きることをみなさん選んできていらっしゃいます。 私だって、ネガティブマインドに覆われていた時期も長くありました。 今だって、ネガティブな思考とか、本能的に恐れや怒りや苛立ちを抱く時はあります。 それを本当になくすのは、身体を持っている以上、不可能だろうと思います。 たぶん、ダライラマだってイラッとすると思いますし、 イエス様だって、聖書の中でしょっちゅう怒ってます、怒るのがネガティブだとするなら、の場合ですが。 ネガティブになった時に、大事なのはその感情に気づくことだとおもいます。 そして向き合ってみる。そう考えることが、果たして自分にとって長い目で見て得か損か、と考えてみてもいいでしょう。 なんだか無駄に落ち込んでいたりするようなことに気づくこともよくあるので、その場合は、落ち込むことのプロコン、つまり良い点と悪い点を書き出してみたりしてもいいかもしれまさん。 そうすると、自分が向かうべき方向が見えてくると思います。 そんな時こそ引き寄せの法則関係の本や、動画をみてみるのがおすすめです。 大事なのは、ネガティブかポジティブか、ではなく、自分の中で湧き上がる感情に意識的であるかどうか、なので、 ネガティブな自分はダメなんじゃないか、と自問できている時点で、アセンション に向かい始めるきっかけを手にしているのです。

戦争、コンタクト、覚醒、統合、アセンション

 お久しぶりです。 ずいぶん長い間こちらのブログを更新していませんでした。 いくつか理由はあるのですが、今回、ちょっとお伝えしないといけないことがあるので、記事を書いています。 今年、2024年に入ってから、大きな変化が、地球のマントルで、そして地政学的なレベルで起きています。 地球のコア自体の活動がとても激しくなっています。 ありえないような悪が暴かれるニュースが、政治、経済、芸能の各分野で続いています。 地球と 人類全体が「活動期」に入ったのです。 それは、水瓶座・風の時代の本格的な始動に向けた「膿だし」のためです。 揺さぶることで、悪を炙り出すのです。 地球は、今年の11月20日に冥王星が水瓶座に入ることで、本当の風の時代、水瓶座の時代に入ります。 これに向けて、地球におけるスピリチュアルな変化も、エネルギーの変化も激しくなっています。 個人のレベルでも大きな怪我や病気、家族におけるトラブルなど、突然の転職や退職などを迫られるなど、色々な大きな出来事が起きている人が多いのではないでしょうか。 実は、これらが世界の動きと連動しているのです。 私がかつていた会社では、ウクライナ戦争による材料費高騰による煽りを受けて、会社が日本市場からの撤退をきめ、多くの同僚が急なキャリアの変更を余儀なくされました。 そんな形で、世界の動き、特に戦争と私たちの生活と人生は、一見平和に見える日本にいると感じにくいのですが、深く連動しているのです。 今年に入ってから、私のアセンションはさらに加速しました。特に、昨年末にスキーでお大怪我をして、その手術で2週間ほど入院している間に、一気に変化しました。 以前は、アセンションによる体の変化と、エネルギーの強化は、周囲の人には伝わるレベルではあまりなかったのですが、それが、明らかに周りの人にも伝わるレベルがずっと続き、さらに強まっています。 電磁エネルギーのようなエネルギーで物を動かすいわゆるテレキネシスも強くなっていますし、自分の体の中に感じるエネルギーの流れも、周囲にいる人に感じさせることができるようになっています。 そのエネルギーが、以前は振動が中心だったのが、とても軽く、重力がないかのような、上昇するようなエネルギーに変化しています。 私のコアが、この3次元から、4次元以上、5次元かそれ以上の高次元に移動したことによるもののようです。

不足が無くなったところから引き寄せが始まる

久しぶりの投稿です。あまり長いものは書けないので、覚え書きみたいな投稿になります。 2〜3ヶ月前から、ケトン式という食事法を始めました。糖質を基本的に取らずに、糖質からではなく、脂肪からエネルギーを取れる体に変える食事で、1920年代ごろから、てんかんや糖尿病に効果があるため、医療機関では知られてきたやりかたです。 これをやっていると、不思議とお腹が減らなくなるというか、物理的にお腹は鳴るのですが、「甘いもの食べたい、炭水化物食べたい」という強い欲求がなくなるんです。 体脂肪が目に見えて減ることも当然ながら、何より食べたい食べたいとならないところが、本当にストレス軽減になりました。 で、その医学的というか、科学的な理由ですが、砂糖は外から摂取しないとならず、一度食べ出すとシュガーラッシュという、一気に血糖値を上げることによる満足感の中毒性がありますが、脂肪をエネルギー源にする体になると、まだ体に脂肪の蓄えがある間は、体は「自分の中に十分栄養の蓄えがある」と感じ、飢餓感を覚えなくなると言われています。 今まで、ダイエットすればするほど、甘いものへの飢餓感にさいなまれ、最終的に我慢できなくなってリバウンドを繰り返していました。 それに苦しんできた身としては、砂糖と炭水化物、要するに最終的にグルコースに分解される食べ物への、cravings渇望感というか、禁断症状から解放されたことは、なんだか終わらないカルマの無限地獄から解放されたような感じです。 食べ物のことばかり考えることがなくなり、コンビニに行ってもほとんど食べられるものもなく、コーヒーだけ買って素通りすることが多くなって、体も軽く、色々な不調や悩みが解決しはじめ、一番大きな発見は、長年ひどいグルテンアレルギーだったということがわかったことです。もともとアレルギー検査では、小麦はかなりアレルギーと出ていましたが、遅延型だったため、体の不調が小麦が原因と、自分の中でリンクしていなかったのです。 まっさらな状態にすると、何で体が反応しているのか、分かり易くなります。 私の場合、前からむくみと、炎症による関節痛に悩まされていたのですが、ケトン式にしてからなくなりました。それがある日突然症状が戻ったので、糖質取ってないのに、なんでだろう?と考えてみたら、揚げ物を食べていたのです。揚げ物の衣が小麦粉だったんですね。 そして、

新しい年の仕事初めの不安と苛立ちと焦りを手放す祈り

天にいらっしゃるだけでなく、そこかしこに、至る所に、すぐそばに、そして私の中にいらっしゃる大いなる存在にお祈りします 今日も私をお導きくださったことに感謝します。 今日も私は、必要のないところで焦りや、苛立ちといった負の感情を抱いた瞬間がありました。 そのことをどうかお許しください。 一方で、以前よりも、そう言った負の感情に押し流されて行動することはだいぶなくなってきたことを感謝します。 明日も、仕事上で、あるいはプライベートで、感情に動かされている状態で人と話すことをしないように、どうかお守りください。 どうか、周りの方に対しても、やわらかく促すのみで私が代わりに行動をしてしまうことがないよう、 彼らが自らの学びによって正しい行動をとることができるようにお導きください。 自分のやり方がすべてではないこと、自分ができることを勝手に他者に押し付ける傲慢さを私が再び身に纏うことのないように、どうかお導きください。 何事かうまくいかないことがあっても、自分のできる範囲を超えていることは、大いなる存在に委ね、手放す勇気と心の余裕をどうか私にお与えください。 その時なんとかできないことに対する苛立ちによって突き動かされないように、寛容さと忍耐と優しさをを持つ強さを私にお与えください。 仕事でうまく行かないことがあってもそのイライラを子供や家族などの近しい人に当てないこと、仕事のストレスはパソコンを閉じた瞬間にそこに置き忘れることができるようにお導きください。 仕事の成果をいたずらに自慢するような、内面の至らなさを見に纏うような心の未熟なことをしないようにお守りください。 誰かのことを悪く言わない、言わないと言うことは思わない、人の能力を人格の評価としない高潔さを私にください。 いつも愛を持って人と接することのできるように、どうか私をお守りください。 そして感情という動物としての罪に突き動かされてしまった暁には、すぐに反省する自己を顧みる力を私にください。 反省した暁にはうじうじ悩まなくてよしとする勇気を私にください。 そして温かな心と澄んだ気持ちでまた明日という新たな日を迎えることができますように。 また今夜も、今日の後悔に苛まれることなく、私の罪の告白を受け入れてください。大いなる存在は、罪を受け入れた人の罪を赦します。 私が私に罪をおかす人の罪を許すように、私の罪をもお許