忘れないうちにメモ。
昨日、娘の学校のママたちとディナーでした。
そのうちの一人のママが南米の方で、南米ってスピリチュアルが当たり前だという話から、スピリチュアルな話になり、彼女の4歳の娘さんが、膝枕をしていてリラックスしている時に、唐突に、
「わたしママを選んでよかった。ママはいいママよ」といったんだそうです。
びっくりして、ママは嬉しくて、半泣きになったそうです。
だから、やっぱり魂は生まれる親を選んでくるのね、という話に。
娘は、胎内記憶の話はしてるけど、選んできた話はしてないなとおもい、なんでママを選んだの?ときいてみると、
「I chose you because I love you」
笑笑、愛してるから選んだ、そりゃそうじゃな。ありがとう。
さらに、
「I chose you because you are so pretty, with beautiful eyebrows, white shiny mouth, shiny beautiful eyes, and when I touch your skin it’s so soft」
綺麗だから。かがやいてるから。
うんうん涙。
誰になんと言われたってどう見られたって、娘が綺麗といってくれればもうなんでもいいです、ハッピーです。
さらに、
「I chose daddy first」
なんと?!
パパを先に選んだのね。まぁパパ似だもんね。
さらにさらに、
「daddy lives in that house and I live in this house, I picked this house. I chose that too」
二つの家があって、パパはあっちの家に住んで、こっちの家があるってことも自分の選択だと。
なんとおおおおおおおおおおお!!!!
そこまで選んでるのおおおお!
衝撃的。
そして納得。
すべて全ての起きたことは良いこと、最善のこと、良かれと導かれておきたこと、おきている、っていうことも、ほんとなんだなぁ。。。としみじみ。
私たち一人一人が、神そのもの。つまり一人一人が、全てをわかった上で選んでこの環境と人生を選んで生まれてきている。
わたし自身が難しい家庭環境に生まれたことも、きっと人の痛みをわかるようになりたいからとあえて選んできているんだとおもいます。
娘もそうなんだろうなと。
ただ、今の私たちは、別々に住んでても、どこにいても愉快に楽しく生活している。
だから、引けに思うこともないし、マイナスに思うこともないし、むしろ人と違っていいじゃないって思えるように、なりました。
三ヶ月くらい前までは、よくないていました、わかっちゃいるけどでも泣ける、みたいな感じで。これでよかったのかとか、娘に悪いことをしたのではとか。逡巡があったし、吹っ切れてなかったのね。その大部分は、人と比較したり、社会のあるべき家族の姿からの乖離を不安視するエゴの心の働きによるもの。必要なのは、えいやっ!と自分の中にしつこくこびりついた社会のくだらない規範や価値観のシミみたいなものをひっぺがすこと。
それができたんだ。
社会の価値観を卒業できて、それより自分のやりたいことと、使命と、今に生きる幸せの大事さを優先させるべきだと、本当の意味で学べたからなんだとおもいます。
どんな状況であろうと、それをマイナスととらえるか、プラスととらえるかは、自分次第。
マインドのエゴに引きずられると、いつも間違った認識をしてしまいます。
純粋に今を楽しめさえすれば、なにも悲しむこともない。
社会の規範を自分に当てはめて、当てはめることでそれに依存しようとし、そうして自分を守ろうとするのがエゴの本能的動き。
そこからbreak freeすることは、難しいのですが、常に自分の感情の流れを内観し、客観視することも、一助となります。
そして大概、ふらふらとさまよう思考は、過去に固執し、未来を不安視し、コントロールしようとしますが、過去は過去であり未来はまだおきていないのだから、コントロールなんてできない。だから、マインドの本能的動きは無為なもの。それさえわかれば、無駄な思考の走りを止められるでしょう。
そして、今に意識を向かわせることができるようになる。
未来は今の連続です。
今を大事にし、愛おしむことができれば、未来はすべて明るく愛おしい時となることは確実なのです。
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