今読んでる本:
相川さんの本はよく立ち読みするけど、気にいると買ってます。
相川さんの本はよく立ち読みするけど、気にいると買ってます。
こういう本は、読むヨガみたいなもの。
相川さんと直に仕事をしたことのある編集者の方から聞いたことなんですが、ヒマラヤには普通に何百歳、という聖者がいるんだそうです。
もちろん表にはでないんだけど、そういう人間の限界から解脱することの伝統を連綿と受け継いでいるのがチベットなんでしょうね。
これを読んでいて、思い当たった節があります。最近わたしが気になっていた「不食」。相川さんは、これはおかしい、と断じています。
人間の根源的な欲をそこまで固執してなくすのは、ただの執着であり、そこまで自己コントロールできたことで自己満足にひたりたいナルシシストなエゴの表出だと。
その通り!とおもいました。
思えば、わたしが食べ過ぎて重くなって落ち込むのも、外見とひとの目を気にするということに「とらわれている」からに他なりません。
基本的には、
誰にどう思われようと、
関係ないし、
わたしはわたしを愛していて、
誰かに認められないと成立しないアイデンティティは、とっくの昔に捨て切った、
はず。
だけど、ところどころでむくっとあたまをもたげるんでしょうね。
昔の自分が。
誰かに好かれようっていうのは、もう歳も歳なのでないんですね。
誰かによく見られようってのは、これはまぁなかなか捨てられないですね。
でも大事なのは自分で自分が好きなことです。
で、太っていても、心が曇っていると、なんだかどうしようもないくらい自分が醜く感じて、
穴があったら入りたくなります。
でも、少し太ってても、楽しくしていると、肌もすんでいるし、これはこれで健康的でええんちゃうかって思えてきます。 そうすると、不思議とストレスがなくって、食べ物にも走らず、だんだん痩せて来るんですよね。
すこし、自然と減ってきました。
食べ物への執着や固執は、現代女性はの最大の課題かもしれないですね。
社会的な評価にさらされ、決められた枠組みの中で生きることを求める傾向が強い日本みたいな社会では特に。
そこからの脱却が幸せにつながるわけですが、食べ物は生活の基本なので、ふと気を緩めた時に問題が出てきたり、毎日のことなので自己認識して反省して脱構築するっていうプロセスをやってる暇がないっていうのもあるのかもしれないですね。
であればこそ、食べ物のことや体重のことはもう考えない、というのが最適かもしれません。いったん忘れること。
食べたい時は食べるし、食べたくない時は食べるなければいい、そう思います。
食べ物に関しても、肩の力をぬいて。
〜せねば、なんて本当に、食べ物にはないんですもの。
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