聖書の中には「柔和」という言葉が非常によく出てきます。それもとても重要な場面で。そもそも、イエス様がロバに乗ってやってきた時点で、「柔和な王」と言われているので、神が「柔和である」ことは神の最も大事な特徴だということがわかります。また、神に愛されるのは人間における「柔和」な性質であることも多くの場所で明らかにされています。でも、この柔和という漢字の言葉、かなり使いなれない、聞き慣れない言葉だし、どういうことをさすのか、もっと詳しくしりたいと思ったんです。
そこで、英語をみてみたら、時代の変遷によって訳語が変わってきているのがわかりました。聖書はもともとギリシャ語で書かれていて、それを英語に訳しているのですが、キングジェームスという17世紀に出版された版のものまでは、柔和はmeeknessという英語で訳されています。このmeeknessには、ただ「柔らかい」だけでなく、submissionという自分を明け渡す、神に委ねる、というような受け身・あるいは弱さが含まれています。
その後の版では、humble へりくだって・恭しく、や、graciously感謝を持って、みたいな訳語もあったりして、場所によって統一されていない。humble にいたっては、現代の一般的な英語の聖書でもmeeknessがかつて使われていたところに充てられているのですが、日本語の「柔和」とはあまり被らず、いよいよ神が何をもって「柔和」とするのか、謎は深まるばかりです。
それで気になって、クリスチャンのママ友に話してみたところ、ギリシャ語ではmeeknessはもともとなんだったのかと調べてみたら、と言われました。聖書はもともとギリシャ語で編纂されたものだからです。で、英語でmeek/ meeknessと訳されたのは、もともとPrausというギリシャ語で、この言葉にはすごく深い意味があることがわかりました。
アリストテレスは、このプラウス、あるいはプラウスらしさ、という名詞であるプラウパティアのことを「怒りがありすぎて怒りに押し流されている状態」と「怒りが全くなさすぎてダメな状態」の間のちょうど良い状態で「怒りが自制されている状態」を表す、ベストの状態であると考えました。つまり、プラウスな状態にある人は、怒りのバランスを取ることができる、すなわちコントロール可能な「強さ」を持っている、ということなのです。このコントロールされた怒り、強さを含むPrausの特徴は英語の、「Meek」ないし「humble」からは全く伝わってこないですね。聖書研究者も、Prausは英語には訳しづらく、Meekでは伝わらない、しかしぴったりな英語の単語がない、と嘆いています。そういう、絶妙なバランスの強さ、という感覚が、イギリスには価値観として存在しないのかもしれません。
また、ギリシャ語のPrausには、他にも意味があり、おとなしい動物や、人を落ち着けて癒す薬、柔らかいソフトな言葉、優しい声、柔らかで優しい風という幅広い意味があったとのこと。これらは全て、確かに「力」を持っています;薬、動物、風、声。でも、それらのもつ「パワー」がただ体当たりにぶつかってくるのではなく、コントロールされているからこそ受け手への当たりが柔らかい、そうなるように、変換されている、ということなんですね。
発電に例えるとわかりやすいかもしれません。発電所で発電された電力は、最初パワーが強すぎるのでそのまま一般家庭に送られると全ての家電がショートしてしまうでしょう。多くの家庭に電力を届け、うまく使えるようにするためには、変電し、電圧を下げ、ちょうどいいパワーに調整して送ってあげる必要があります。聖書で言われる「柔和」にはそういう意味合いがあったのです。ただ柔らかいだけでも、弱いわけでもなかったのです。
ただ、ちょっと「柔和」という漢字を考えてみると、柔よく剛を制す、という「柔」にはやわらかさと同時に強さがある、本当の強さは柔らかいものである、という日本の精神が表されています。「和をもって尊しとなす」も、ただ弱いのではなくて、全体のバランスを取るための忍耐力も、統率力も求められる強さを表します。だから、英語よりも、日本語の方が、神の特質であり、神を喜ばす特質でもあるPrausをよく表現できる言語なのではないでしょうか。
それにしても。。。
何かにつけ「怒り」を覚えやすい日々が続いています。意味不明なワクチンの政府方針、一方的なニュース、新たな冷戦という世界の動きに加えて、日々の生活でもイライラしている人が多いような気がしますね。結論からすれば、そういう時、怒りはもって大丈夫なんだと思います。怒りは強さとエネルギーの源泉。でも、それが自制されている必要があるんです。
神だって、聖書の中でずっと怒っています。神の怒りと鉄槌が人を正すのです。だから、正しい怒りというものはあり、必要でもある。でもそれは、表面に出て伝えられる段階においては、「柔和」であるべきなのです。でないと人にも伝わらないし、良い変化を起こせるエネルギーにならない。だから、常に柔和であることを心がけたいと思います。心の中で生まれたささくれや、怒り、突起物を、一旦「自制」すること、そうして、どうやったら外に向けて「柔和」として表現できるのか、それも無理するのではなく、落ち着いて取り組むことができるのか、頑張ってみたいと思います。
以下、聖書の中で出てくる「柔和・プラウス」の箇所です。英語はmeekenessです。日本語は、正しい訳ではなくて、クラウド翻訳です。
Matthew 21:5 Behold, your king is coming to you, meek (humble), and mounted on a donkey,
マタイ21:5 見よ、あなたがたの王は、柔和で、ロバに乗せられて、あなたがたのところにやって来る。
Matthew 5:5 Blessed are the meek, for they will inherit the Earth
マタイ5:5 柔和な人々は幸いである、彼らは大地を受け継ぐだろうから。
Psalm 37:11 But the meek will inherit the land delight in abundant prosperity.
詩篇37:11 しかし、柔和な人々は、豊かな繁栄の中で喜びの国を受け継ぐ。
2 Corinthians 10:1 by the meekness and Gentleness of Christ, I appeal to you
2コリント10:1キリストの柔和と優しさによって、私はあなたがたに訴えます。
Colossians 3:12 Put on then, as God’s chosen ones, holy and beloved, compassionate hearts, kindness, humility, meekness, and patience…
コロサイ3:12 そこで、神に選ばれた者、聖なる者、愛する者として、慈愛に満ちた心、親切、謙遜、柔和、忍耐を身につけなさい…。
James 3:13 Who is wise and understanding among you? By his good conduct let him show his works in the meekness of wisdom.
ヤコブ3:13 あなたがたのうちで、だれが賢くて物わかりがよいでしょうか。その良い行いによって、知恵の柔和さをもってその業を示すことができる。
James 1:21 Therefore put away all filthiness and rampant wickedness and receive with meekness the implanted word, which is able to save your souls.
ヤコブ 1:21 だから、すべての不潔と横行する悪とを捨て去り、あなたがたの魂を救うことのできる、植え付けられたみことばを柔和に受けなさい。
Psalm 149:4 For the LORD taketh pleasure in his people: he will beautify the meek with salvation.
詩篇149:4 主はその民を喜ばれ、柔和な者を救いで美しくされるからです。
Peter 3:15 but in your hearts honor Christ the Lord as holy, always being prepared to make a defense to anyone who asks you for a reason for the hope that is in you; yet do it with meekness (gentleness) and respect (fear)
ペテロ3:15 しかし、心の中では、主であるキリストを聖なるものとして尊び、あなたがたのうちにある希望の理由を尋ねる人には、常に弁明する用意をしておきなさい。
Galatians 5:23-24 But the fruit of the Spirit is love, joy, peace, patience, kindness, goodness, faithfulness, meekness, self-control; against such things there is no law.
ガラテヤ 5:23-24 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制、であり…
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