おはようございます。
久しぶりの、ゆっくりとした日曜朝、娘のお稽古待ちの時間帯、スタバでブログを書いています。
アセンションを成功させる唯一の方法、と、なにやら穏やかでない感じのタイトルですが。。。
クンダリーニエネルギーが目覚めて、本格的に活性化すると、10年くらいのサイクルで初めて落ち着く、ということは書いてきましたが、
その身体的、超能力的な超常現象と並行して、心と魂の鍛錬を進めないといけません。
なぜ「いけない」のかというと、いったんクンダリーニが目覚めるか、アセンションが始まってしまうと、心と精神を鍛えないと、間違った方向にエネルギーが向かってしまうからです。
本来明るく、聖なる方向に向かうべきエネルギーが、悪い方向に向かってしまうと、不安定になり、予測不能で、制御不能になり、その人を不幸せにし、破滅させてしまう可能性が大きくなるからです。
もちろん、なんども破滅があって、再生があるとも言えますが、そんな無駄な傷はうけないほうがいいし、時には再生する余力さえなくなってしまうことがあります。
では、どうやって正しい方向にエネルギーを向かわせ、アセンションして行くのか?
というと、精神面・身体面で、答えはそれぞれひとつだけです。
精神面: 死ぬ気でいい人になる
身体面:背筋を通して、チャクラがアラインされた姿勢を目指す
先日、茶席に呼ばれる機会がありました。
掛け軸に、「一期一会」と書いてありました。
アメリカ人の上司は、日本文化に造詣が深いので、掛け軸の意味について、詳しい方にご説明いただいた方がいいだろうと、利休の思想と、禅の哲学における「一期一会」の意味と、ひとつひとつの茶席にこめられた意味や想いをその施設の学芸員の方に説明していただきました。
上司は前から勘がいいなとは思っていたのですが、専門家の「ひとつひとつのできごとは、一度しかない、という一期一会が、禅の考え方でもあり、この一期一会の掛け軸に込められています」という
簡単な説明を聞いて、あれ、これで伝わったかな?
と思ったら、
上司が「すごく感動しました」というので、なにに感動したんだ?!と思ったら、
“It is telling us to “live in the moment” and that is a very precious teaching”
と言ったんです。
LIVE IN THE MOMENT.
そう、まさにこれがアセンションの、悟りの真髄であり、生きるということそのものです。
その「瞬間」に生きる。
必死に生きる。
最大限に今に生きる。
死ぬ気で今に生きる。
そういうことです。
その気で行くというか、ほぼliterally そのとおりに生きないと、本当にアセンションが始まると、辛くて辛くて、本当に生きて行くことが難しく感じられるほど、打ちのめされてしまうことがあります。
この十年間、なんでこんなに辛い目に神は遭わされるのか、と神に恨み言を言いつづけてきました。常にではありませんが、when dark moment hits. 暗闇の底に落ち込んでしまった時は、こんな辛さはblessing 祝福でもなんでもなく、curse呪いでしかない、と。
しかし、普通に生きられたらよかったかといえば、それはそうではないのです。
この恩寵、つまり神がいるという確信に到らせる数々の奇跡に関しては、感謝と畏敬の念しかありません。
しかし、現実に苦しみ続ける世界の只中にあり、自分自身が感じる愛と、世界の本当の姿との間にあるあまりの落差に、
目覚めた人は例外なく、苦しむことになります。
近しかった人が遠く感じられ
これまで信じていたもの、
頑張って獲得してきたキャリアなどがすべて無意味に感じられ、ガラガラと音を立てて崩れ、
そこから再び人生を立て直す。
もちろん、それはblessingであるといえます。
しかし、大変です。
わたしは、barely making itなんとかかんとかやってきた感じです。
周りの人は、成功してるね、とか、
かっこいいね、
と言ってくれますが、
本人は相変わらず迷いまくり、逡巡し、
日々疲れています。
疲れ切って、
こないだは、本当にどうでもいいこと、が
引き金になり、
久しぶりに
「本当にもう無理」と思ってしまいました。
その引き金が、聞いてびっくりですよ、娘が、お友達だと思っていた男の子の誕生日パーティに呼ばれず、月曜に呼ばれていた子からその話を聞き、ショックを受けてしまったのです。
しかもその子の母親とはわたしも比較的仲良くしていたと思っていたので、
私自身の自信喪失になりました。
これで、「もう生きていたくない」と
本気で思ってしまったんです、笑。
ただ、これはひとつのトリガーに過ぎず、
そんな些細なことでさえ許せないほど、いろんなことが限界に達していたんだとおもいます。
アセンションによって、わたしは人生を大きく進路変更させられてきました。
それは、人の何倍もいろんな体験を味わえる、素晴らしい旅路のように見えるものの、辛さ、にフォーカスすれば、まぁ本当にいくらだって辛さに拘泥することができるわけですよ。
頑張って頑張って、頑張り過ぎてきたこと。
忙しい仕事と、育児のバランスに悩み、娘との関係にも悩んで、連日バトって、自己嫌悪の繰り返しが続いていたこと。
それらを一人でやっているように感じたこと。
悪戦苦闘、暗中模索、暗中苦闘、孤軍苦戦、
そんな感じです。
そして「死」について、リアルに考えました。
ちょっとずつ食べる量を減らして少しずつ死んで行くのはどうか?
とか。
(安心してください、いまもシロップ入りのグランデラテと、ホイップクリームがけのブルーベリースコーンをスタバで食べております)
そうだ、そうしよう、ダイエットにもなるし!とついでにくだらないメリットも考えながら、泣きながら眠ろうとしたんですが、
その晩は、夜通し娘がうなされて、ずっとお布団の上をぐるぐる回り続けるので、
あまり寝られませんでした。
おととい、なんでそうだったのかを娘に聞いたところ、「ママが悲しそうで不安だったからうなされていた」といいます。
え、なんでわかるの?
「悲しい顔をしてたからわかる、でも気づいてなりふりをしてた」
というのです。
娘なりに、母の危機は見守らないといけないと感じたのでしょうか。
さて、それが月曜の夜で、一週間、ちょっとずつ死んでゆく、もう生きるために頑張らない、と思いながら過ごしてきました。
でもそれだけではなくて、
「もうこれが最後、最後の出会い、残された日々は少ないから、全身全霊で愛を持って娘に接して、あう人会う人に対して愛と優しさ全開で、地球にいる限りは神と宇宙の光と愛の伝道師として過ごすのだ」
と、本気で思って過ごしました。
つまり、本気で死んでゆく、と思ってるからこそ、本気で「一期一会」を感じられ、live in the moment できた、ということなんです。
そうすると、運転中もイライラせずに人に譲れるし、
娘に対しても、しかってから、気持ちをスイッチングして諭す、ハグする、という切り替えがスムーズにできるようになりましたし、
仕事も、無駄なストレスを抱えず楽しくこなすことができました。
結果的に、月曜に感じた苦しみは癒され、
楽しく、幸せに過ごすことができました。
もはや死ぬ意味なんでどこにもないのです。
でも、「死ぬ気で一期一会する」ことには、大いに意味があったのです。
だから、アセンション を成功させるためには、
死ぬ気でいい人になる
死ぬ気で愛を伝える
死ぬ気で愛を持って人に接する
今日が本気で最後と思って、良い心で1日を過ごす
これが最後と思って相手に接する、ベストの自分で接する
ことが、
本当に大事なのです。
背筋を伸ばす、については、これまでもたくさん書いてきましたが、
ちょっと買い物に出ないといけないので、
また改めて書きます。
Amen.
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