ちと、抱えていた一大プロジェクトが山場を超え、睡眠不足が解消された上、明日は台風で娘の学校の休みが決まっているため、少し夜更かし中。
賞味期限が切れている商品を集めるお店が人気が出ていたり、食品ロスの話を学んで、後ろの方から商品を取るのが恥ずかしくなって、積極的に一番前に並んでるのを取るようになった女性のコメントが引用されていました。
さて、最近のわたしは、引き寄せに辟易しております。
もちろん大事なことではあるんだけれど、、、
前は本屋に行くと必ず立ち寄っていたスピリチュアルコーナーにも全く興味がなくなり、大好きだった引き寄せ系メルマガもうんざりして解約。
何で辟易かというと、どれもこれも、引き寄せの法則を実践することで、同じことを目指してるから:
☆もっとモテる
☆もっとお金持ちになる
☆成功する
☆全てうまくいく
☆運命の人にあえる
なんていうのかな、すごく即物的で、安易だし、浅はか。
そもそも、引き寄せってたぶん、
本質的な部分でいろんなことを反省し、より良い人間になることによって、その副産物としていろんなことがうまく回り始める、そういうものであるべきだし、だからこそうまくいくもんだとおもう。
その順番が大事なのであって、見返りを求めることが先にあるのでは意味ないし、そもそもうまくいかないとおもう。
その順番が大事なのであって、見返りを求めることが先にあるのでは意味ないし、そもそもうまくいかないとおもう。
でも今溢れてるのは、改めよ、さらば報われん、の報われるってところにばかりフォーカスがいっていて、アメリカの眉唾系のコーチングみたいな感じで、資本主義のにおいがきつい。
なんていうのかな、そういうの、もう古いなぁ、と。そうおもいません?
今日、スーパーで、一番奥の方の納豆をガサガサってガサツに取って、陳列を乱してるおばさんがいました。
彼女を見たときに、昨日読んだ日経の記事で、消費の仕方を変えることで社会貢献する「社会的消費」の流れが強まっているとい記事があったことを思い出しました:
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49536820W9A900C1SHA000/
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO49536820W9A900C1SHA000/
賞味期限が切れている商品を集めるお店が人気が出ていたり、食品ロスの話を学んで、後ろの方から商品を取るのが恥ずかしくなって、積極的に一番前に並んでるのを取るようになった女性のコメントが引用されていました。
自弁だけ良ければ良い。という独善的消費の価値観から、社会的消費へ。
そういうことだとおもいます。
成長して、豊かになって。
すると、お金では買えないたくさんのことに気がつく。
お金があればあるほど、
お金に固執することで失っていることに気がつく。
引き寄せを実践して、どんどんお金持ちになって成功して、、、それで行き着く先って、ホニャララ姉妹とか、ホニャ夫人みたいに、綺麗でお金があるかもしれないが、禍々しい徒花みたいな。そんな美しさと豊かさって、本当に欲しいですか?って話。
マルチ商法の自己啓発セミナーみたいな感じ。
それよりも、正しい人間である、義を尊べる人間であることの方が、絶対大事で、本質的な幸せをもたらしてくれる。
人に優しく、穏やかでいきていける方が、絶対幸せな日々を過ごせる。
ひとつひとつのこと、一歩一歩をキリストのマインドとハートを踏襲して生きていくことが、本当は一番大事。
それは愛と光。
救いと、慈愛。
コメント
コメントを投稿