一週間が経ち、どーんと梅雨のど真ん中です。
そして、私の中でも、いろいろなことがほぐれて行き、不安も消え、とても落ち着いた日々を過ごしています。
今日も、娘のスイミングスクールの待ち時間の間に、教会にいってお祈りをしました。
今日はいつもの伝道師の方から、
「一人で大丈夫ですか?」と聞かれたので、
「礼拝でもいいんですけど、こういう時間が必要なので、土曜日しかこれないし、大丈夫です」といったらほーと関心をされたような顔をされました。
さて、このところ毎週のルーティンになっているお祈り、今日も発見がありました。
この教会にきて週末に自分と向き合い、一週間を振り返り、感謝をすることが習慣になってから、ずっと願っていたことが叶うタネのようなものが芽生えました。
そして、仕事で抱えていたトラブルもすべて解決しました。
それは、降って湧いたというよりも、自分の中に解決策の方法があり、自分と向き合うことによってそれに気がついた、そういう感じです。
そして、一番最初のお祈りの時の、自分で自分をネガティブな考えでおおいつくしてしまっていて、本当はそんな悲観するようなことはなかったという気づきについて、改めて感心したのが、それ以降、ネガティブな考えはあまり自分の中で出てきていないということ。
自分の考えること、感じることは、自分である程度修正することができ、
それに関してはなによりも努力しないといけないのだということを改めて実感しました。
そして、この数ヶ月の間に起こってきたことをふりかえると、今日気づきとして浮かんだのが、
「究極の選択」です。
アセンション云々に関わらず、人生で人はいろいろな場面で選択を迫られます。
この選択は正しかったのかどうか、常に逡巡してしまうことも多いのですが、
正しい選択というのは常にその正しさは迷う必要もないくらいじつは明らかなのだとおもいます。
アセンションをしてゆくと、心と魂を鍛えるために、その選択の振れ幅がどんどんおおきくなり、まさに究極の選択!という感じになってきます。
大事なのは、以下の点です。
-見た目の派手さや、社会的な優劣といった、外側の物差しではなく、自分にとってそれが良い行いであるか、良いハートを持ち、正しい選択をしていると感じられる方が取るべき選択
-人であれば、表面的な優劣ではなく、その人があたたかく素直な心を持ち、人をコントロールしようとしない人の方が正しい選択
-そこから逃げているために選択するのであればそれは正しく無い
-イライラして怒りがちであれば、そういう時には何も選択してはいけない、落ち着いてから選択するべき
-なんとなく引っかかるものがあればそれは選ぶべきでは無い
よく漫画で、天使のささやき、悪魔の囁き、の両方のささやきが聞こえ、一体どうしたらいいんだ?!と悩む場面が出てきます。
わかりやすくいうと、常に天使のささやきに耳を傾けて、その選択肢だけを選ぶようにして行けばいい、ということです。
そうしたら、何がやってくるのかというと、常に選んだ方向は正しくなり、常に運と幸運に恵まれます。
木曜と金曜に富士山に行ってきましたが、とても綺麗に晴れ、梅雨の間のエアポケットのような貴重な晴れの2日間にたまたまあたり、とてもラッキーでした。
ごらんの写真のように鮮明!
そして、私の中でも、いろいろなことがほぐれて行き、不安も消え、とても落ち着いた日々を過ごしています。
この日々が持続するように、日々を頑張りたいと思います。
コメント
コメントを投稿