アセンション は、霊的覚醒ですが、心とスピリットの成長、レベルが上がる、上げて行くことです。日々、自分の中でできることを実践して行くと、アセンション 、あるいはクンダリーニの上昇に伴った副作用も気にならなくなってきます。
自分の覚書の意味も含めて、心の行動指針を箇条書きにします:
-心と体に衝動的に沸き起こる不満や怒りなどの感情、そういった心の反応にすぐ動かされず、いったん観察する
-心は常に乾きから求め続けるもの、それを動物的な反応だと観察して理解して、それに流されない、心が暴れてるな、と気づけるようにする
-誰かに認められたい、というのも承認欲求であり、心の動物的な反応だと知り、不満の原因であることを知る、観察して、分析して、実は他人に認められたってなにもいいことはない、自分を認めなきゃいけないのは自分自身だと考える。
-なにか不満やストレスがあったら、それがなんなのか名前をつけてみる。例:私はいまイライラしている➡︎その理由は他者を自分の基準で見てしまったからだ➡︎他者は自分ではない➡︎イライラしたとしても無駄である
「よく注意して、落ち着きを保っている人は、怒りによって行いが、言葉が、想いがざわつくことをよく防いでいる。かくして、心の自由をよく保てる」(ダンパマダ 「怒り」)
-将来への不安やそこからくる現在への不満は根拠のない「妄想」なので、これは妄想だと打ち砕く、消しゴムで消してみる
-これら全ての過程の中で、自分を否定しない、ニュートラルでいる
さて、だいたいわたしは普段は実践できるようこのところ心がけることができていますが、まったくできていない時があります。それが運転の時。
期せずして、きのう娘のお稽古を待ってる間に久し振りにマッサージを受けたところ、首がすごく硬いと指摘され、「運転してますか?」も聞かれました。
緊張して、ないし攻撃的になって、運転してるから、筋肉が奥の方で固まっちゃってるんだろうという結論に、マッサージをしてくれた担当者の方とたどり着きました。
そうなんです、左車線を走って横から入ろうとしてくる車とか、すごい腹がたっちゃうんですよ。笑笑。なんてマナーが悪いんだ!絶対入れないぞ!みたいな。笑笑。
反応しまくり、勝手な善悪の判断しまくり、挙げ句の果てに自分の体にストレスで悪影響が!!!
でも運転って、すごくいい例だと思うんです、たとえば。。。
マナーの悪い車がいる。
その人のナンバープレートの地域を見て「あ、○○ナンバーだからマナーが悪いんだな」と勝手な判断をする➡︎反感をさらに強める→わたしの車の方がいい車だと承認欲求を強める→絶対入れてやらない、追い越してやれ→無駄な競争心を持つ→無謀な運転をする→結果的に自分がマナーの悪いドライバーになってしまう→結果的に事故る
つまり、いいことなど、何一つないんです、その車に反応しても。じゃあどうすればいいのかというと:
左から横入りする車がいる→判断をしない→むしろ、イラっとしてる自分に気がつく→あ、このイラっとした反応が判断の連鎖を生んで、結局自分で自分の首を絞めるな、も気がつく→事実として入ろうとしている車がいれるから、いれる→その方が渋滞も生まれないしみんながハッピー→そういう行動をとる人をいまここで変えることも矯正することもできない、ただ水が流れに沿うようにフレキシブルに対応する
事故も起きない。。。
うーん。。。やー、これムズイですねー!本当にできるのかわたし?!書いてみてかなり自分がヤンキードライバーであふことを自覚しました。笑笑。
でも、運転してるときにいつもの努力が水の泡になってる気もするので汗、頑張ります。
頑張ってみて、なにか変わってる感じが出てきたら、また報告します!
相手の車が娘だと思って対処せればいいのかなぁ笑笑
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