今日もいつものお祈りをいつもの教会でしました。今日はいつも迎え入れてくださる伝道師様と少し長めの会話をしました。
毎週一度、この教会に迎え入れていただくことが、どれだけ私にとって意味のあることかをお話しすることができて、よかったです。
神社でもお寺でも、どこでもいいとおもうのですが、静謐で聖なるところで、人々の祈りの想いが満ちている空間で、一人自分と向き合うのは、とても大事だとおもうのです。
いろいろとざわついている心と向き合い、あらためて一週間の心のアップダウンを振り返り、心の動揺はすべて、無駄に物事をjudge判断してしまったことによることに気がつけます。ただのジャッジというよりは、judgementalつまり決めつけてしまうこと。
なんとなく腑に落ちなかった出来事は、だいたい自分の決めつけや、くだらないプライドや、大きく見せたい虚栄心というか見栄が働いて、無駄にジャッジしていることが背景にあります。
それらはすべて、エゴの、マインドのおしゃべり。どれひとつとして、意味のあることはない。
そういうことが自分の中でわきあがってきたら、向き合って、観察して、解放する。
そうすれば、くだらない理由でくさくさして過ごすことなく、気持ちよく朗らかに過ごせる。
この教会に通い始めたのが、五月の怒涛の日々が終わったと同時くらい。
たくさんのことを学び、日々どんどん浄化されていっているせいなのか、またぞろ圧力釜にいれられながら遠心分離機にかけられてドラえもんのタイムトラベルトンネルにいるような感覚が強く戻ってきて、常に揺れています。
会社の同僚にも、やはりまた伝わるようになってきました。
そして夜、娘と興味深い会話がありました。
娘がちょっと気持ち悪い、というので、ママもなんか揺れてて気持ち悪いんだけど、と言ったら、じっとなにかを考えるようにした後、
「うん、感じる、ゆれてる、シェイキングしてるね」と言います。
「あ、わかる?じゃあママのがあなたにちょっとうつったのかな?」
娘「うんそう」
私「これ何かわかる?」
娘「天使がママにワークしてるの、天使がたくさんきてるの、ママをfitにするために」
母「ヘルシーになるってこと?」
娘「うんそう」
母「それは体のこと?心のこと?」
娘「両方。これはとても良い病気なの。天使はでも、彼らのお家にいて、そこで頑張ってるわけ」
母「あなたには天使が見えるの?」
娘「うん、見える」
母「えー、ママも見たいな、でも見えたら怖いかも笑笑、天使はどんな感じ?」
娘「とってもbeautiful。赤ちゃんの時ははっきり見えたけど、いまはぼんやりとしか見えない」
母「ね、こういうことなんで知ってるの?なんでわかるの?」
娘「赤ちゃんの時全てがはっきり見えるの。赤ちゃんはみんなそうなの。いまはもうそれほどはっきりとは見えないの。でもこのことは先生(担任の)には言っちゃダメ、秘密ね。わたしは赤ちゃんの時にぜんぶはっきりとわかったの、だからわかるの。ママのこのグラグラと揺れは、とてもいい病気なの、インフルエンザとかとは違うの。インフルエンザは悪い病気だけど、これはいい病気なの。優しく、綺麗に、心と体がなるためなの」
ということでございます。
時々、天使と会話するちっちゃな天使と会話してる気分です、実際そうなのかも。
そして、私だけがこういう感じを体験してるんだ、他にそういう大人は(少なくとも近場では)ママだけで、それは特別なことなんだ、とも言っておりました。
最後に、こういう時はとにかく寝なきゃダメ、いますぐ寝なさいと言われましたので、寝ようと思います。
おやすみなさい。
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