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新しい年の仕事初めの不安と苛立ちと焦りを手放す祈り

天にいらっしゃるだけでなく、そこかしこに、至る所に、すぐそばに、そして私の中にいらっしゃる大いなる存在にお祈りします 今日も私をお導きくださったことに感謝します。 今日も私は、必要のないところで焦りや、苛立ちといった負の感情を抱いた瞬間がありました。 そのことをどうかお許しください。 一方で、以前よりも、そう言った負の感情に押し流されて行動することはだいぶなくなってきたことを感謝します。 明日も、仕事上で、あるいはプライベートで、感情に動かされている状態で人と話すことをしないように、どうかお守りください。 どうか、周りの方に対しても、やわらかく促すのみで私が代わりに行動をしてしまうことがないよう、 彼らが自らの学びによって正しい行動をとることができるようにお導きください。 自分のやり方がすべてではないこと、自分ができることを勝手に他者に押し付ける傲慢さを私が再び身に纏うことのないように、どうかお導きください。 何事かうまくいかないことがあっても、自分のできる範囲を超えていることは、大いなる存在に委ね、手放す勇気と心の余裕をどうか私にお与えください。 その時なんとかできないことに対する苛立ちによって突き動かされないように、寛容さと忍耐と優しさをを持つ強さを私にお与えください。 仕事でうまく行かないことがあってもそのイライラを子供や家族などの近しい人に当てないこと、仕事のストレスはパソコンを閉じた瞬間にそこに置き忘れることができるようにお導きください。 仕事の成果をいたずらに自慢するような、内面の至らなさを見に纏うような心の未熟なことをしないようにお守りください。 誰かのことを悪く言わない、言わないと言うことは思わない、人の能力を人格の評価としない高潔さを私にください。 いつも愛を持って人と接することのできるように、どうか私をお守りください。 そして感情という動物としての罪に突き動かされてしまった暁には、すぐに反省する自己を顧みる力を私にください。 反省した暁にはうじうじ悩まなくてよしとする勇気を私にください。 そして温かな心と澄んだ気持ちでまた明日という新たな日を迎えることができますように。 また今夜も、今日の後悔に苛まれることなく、私の罪の告白を受け入れてください。大いなる存在は、罪を受け入れた人の罪を赦します。 私が私に罪をおかす人の罪を許すように、私の罪をもお許...

2023年 新年の祈り

  一番大事なことは、 愛を感じること 偉大な恵みで、命を与えられ この世界で生を味わうこと 命溢れる地球を感じられること。 一番大事なことは、だから、憎しみや怒りなどのネガティブな感情 人と私を隔てる感情 人と自分を比べる感情がなくなっていくこと。 そんなことできるもの?と思った時期もあったし 頑張って無くしてる時期もあった そのうち、何があっても、その人の魂を感じるようになった その人にはその人の苦しみがあり 喜びがあり、愛があり、憎しみがあり、ハイアーセルフがいる そしてみんな一つの源から出ている あなたも私も元は一緒 何かを決めつけないこと 判断するのを遅くすること 相手の話をまず聞くこと いつも柔和でいること いつも、これは神様の求めている愛の道か、を神様と自分に問うこと 裁かないこと 裁きは神様に委ねること 妬まないこと 比べないこと 怒る感情を遅くすること 腐った木に成る果実は腐っているように 身の内側が清く豊かであれば愛に満ちた言葉を紡ぐことができる 唇から出てくる言葉が常に清く正しく思いやりに満ちたものであるように 今ある事態が今までで最良であることを気づき受け入れ 感謝するように 必要なものは全て与えられていることを知るように 常に身を清くし 朗らかにあり、微笑みを絶やさないように やわらかく話し、やわらかく人の言葉を受け入れるように 一歩一歩を感謝し、 大事に瞬間瞬間を生きるように。 あなたのこの新たな一年が、 自己を顧みる豊かな時間に満ち、 学びと恵に満ちた日々となりますように。 Brothers and sisters この祈りを大いなる愛の源である方の御名の下にお捧げします

聴く、ことの力

  このところ、ウクライナの書き込みが続きましたね。ちょっと饒舌になりすぎたかなと反省しています。今、情報が多すぎますね。心が疲れてきた、というところ、ありませんか?「情報戦」まさに情報が「戦争」になっている、そんなところありますね 。 私はちょっとその流れに影響されてしまったのかもしれません。 今これを私は病院の一室で書いています。 明日朝から、全身麻酔で手術を受けます。別に、その手術自体で、生きるか死ぬかの瀬戸際ということではありません。長い目で見ると、もしかすると命にかかわるかもしれないものが、大変運よく、奇跡的といってもいいほどの、まったくの偶然の流れで3か月ほど前に見つかったのです。 経過観察をしたら、まだあるね、ということで、取っていただけることになりました。 方向性が決まるまでは、最悪の事態をつい想像してしまうと、ともすると深く暗い淵に落ちていくような、そんな気配もありました。しかし、そんな気配を感じたときに、私を光のほうに引き戻してくれたのが、 Faith です。 Faith って、日本語には訳しにくい。信仰、というのが辞書的な訳語です。でも、特定の宗教を持たない人はちょっと違和感のある言葉ですよね。信念?そうとも言えます。 ただ「信じている」、あるいは「確信」していること、その二つを足してに2で割ったような、そんなものでしょうか。 何への Faith かというと、それは、 このブログにこれまで書いてきたことすべてへの Faith です。 宇宙を、大いなるものを信じて、それに対してすべてを委ねること。 明け渡せば、心には正しく、清く、明るいものが入ってくること。 心が明るいもので満たされれば、明るい未来がやってくるということ。 そして、宇宙を信じれば信じるほど、宇宙はよき知らせ、明るい未来、光で応えてくれるということ。 ここ数か月の間、生と死、について、いつもよりもたくさん考える機会がありました。 そもそもコロナ禍で、そういう方、多いと思います。 そんな中で勃発した戦争、毎日届く、心がはりさけそうになるようなつらい映像。 そして個人的には、みつかった病変がどうなるのか、そしてどうするのか?という、3か月という、経過観察に必要な時間が経つまでは、結論が出ない、という宙ぶらりんで...

ウクライナ問題の根源は東西ドイツ統一にあった

この2014年のハフポスの記事、とても興味深いです。ヨーロッパの、ドイツとの2回の凄惨な戦争を経験したトラウマと怨念が、いまのウクライナ危機に繋がっていることを感じます。 同時に、日本も、太平洋戦争の経験から決して自由になることはないことも感じます。 自分たちが忘れても、周りは忘れないのですね。 https://m.huffingtonpost.jp/2014/11/10/gorbachev_n_6131438.html

神と宇宙を喜ばす「柔和さ」には自制された怒りという「強さ」があった

  聖書の中には「柔和」という言葉が非常によく出てきます。それもとても重要な場面で。そもそも、イエス様がロバに乗ってやってきた時点で、「柔和な王」と言われているので、神が「柔和である」ことは神の最も大事な特徴だということがわかります。また、神に愛されるのは人間における「柔和」な性質であることも多くの場所で明らかにされています。でも、この柔和という漢字の言葉、かなり使いなれない、聞き慣れない言葉だし、どういうことをさすのか、もっと詳しくしりたいと思ったんです。 そこで、英語をみてみたら、時代の変遷によって訳語が変わってきているのがわかりました。聖書はもともとギリシャ語で書かれていて、それを英語に訳しているのですが、キングジェームスという17世紀に出版された版のものまでは、柔和はmeeknessという英語で訳されています。このmeeknessには、ただ「柔らかい」だけでなく、submissionという自分を明け渡す、神に委ねる、というような受け身・あるいは弱さが含まれています。 その後の版では、humble へりくだって・恭しく、や、graciously感謝を持って、みたいな訳語もあったりして、場所によって統一されていない。humble にいたっては、現代の一般的な英語の聖書でもmeeknessがかつて使われていたところに充てられているのですが、日本語の「柔和」とはあまり被らず、いよいよ神が何をもって「柔和」とするのか、謎は深まるばかりです。 それで気になって、クリスチャンのママ友に話してみたところ、ギリシャ語ではmeeknessはもともとなんだったのかと調べてみたら、と言われました。聖書はもともとギリシャ語で編纂されたものだからです。で、英語でmeek/ meeknessと訳されたのは、もともとPrausというギリシャ語で、この言葉にはすごく深い意味があることがわかりました。 アリストテレスは、このプラウス、あるいはプラウスらしさ、という名詞であるプラウパティアのことを 「 怒りがありすぎて怒りに押し流されている状態」と「怒りが全くなさすぎてダメな状態」の間のちょうど良い状態で「怒りが自制されている状態」を表す、ベストの状態である と考えました。つまり、プラウスな状態にある人は、怒りのバランスを取ることができる、すなわちコントロール可能な「強さ」を持っている、...

風の時代に高パフォーマンスを出すには:  神様と宇宙を一番喜ばせる「楽しさ」が鍵

こんにちは。バシャールもよく言っていますが、高次元の存在を喜ばせ、幸せを引き寄せるための最高のエネルギー、波動は「楽しさ」です。 そう言っているバシャールがいつもあんまり楽しそうでなく、むしろちょっと怒っているように思う、特に焦点のズレた質問をずっとしてくる質問者の質問に答える時なんてすごくイライラしているように思うのですが、、、ということはつまり「楽しくある」ということって結構難しいことなんだってことです。 楽しい、ということが神を喜ばせることは、神に捧げる舞が「神楽」と呼ばれていることからも明らかです。天岩戸を動かして人類のピンチを救ったのも、楽しいダンスでした。 じゃあどうしたら楽しくなれるのでしょう。 聖書は、ずっと戒めが書かれている重たい書物ではありますが、そこに書いてある戒めを忠実に実践していくと、行き着くところは「楽しさ」だと思います。 繰り返し出てくるのは、以下の戒めです; ー怒るな ー嫉妬するな ー無駄なプライドを持つな ー過去のことをクヨクヨするな ー未来のことでウジウジするな ー今に目を向け、生を受けたこと、与えられてる恵みに感謝せよ ー神を信頼し、全てを神(宇宙)に委ねよ ー自分のことばかり考えず、他の人を助けることを優先せよ ーがめつくなるな。自分が所有することに拘るな。全ては神と宇宙から与えられたものなのだから、喜んでシェアして、与えよ 聖書の全ては上にあげたことに集約できると思います。聖書の根幹は「罪」にあるんですが、この罪は上の戒めに反することから発生します。 これは、仏教でも同じことが言えるし、マインドフルネスで説かれていることも同じ。 これを実践していくと、どうなるのかというと、間違いなく「楽しさ」に行き着くと思うんです。 それは、「今・この瞬間」にフォーカスできるようになる、ということ。 今を楽しむ。今を生きる。それに尽きるのです。 今、オリンピックが開催されていますが、競技後の姿、発言、表情に、土の時代と風の時代の世代交代を感じます。 土の時代のマインドの選手の特徴; ー負けると「皆さんに申し訳ない」と言って泣く ー基本的に楽しそうじゃない ー肝心の時にネガティブだったり、パフォーマンスがでない ーあまり笑顔がない --自分よりは「みなさん」のためという言葉...

聖書と遊女から学ぶポストコロナのコミュニケーション

おはようございます。 今日はいい天気の冬晴れですね。私は、より良い人になるため、心を穏やかにコミュニケーションをとるため、仕事で気持ちよく人間関係を構築するためのヒントをいろいろな活字媒体から得ています。特に、聖書はとても良い情報源です。また、古くから受け継がれている知恵も大事です。神道や禅における人のあり方、あるいは江戸時代やそれ以前から受け継がれている言われ方など。 そういった知恵は、コロナ禍のリモートワーク時代の、繊細なコミュニケーションにもたくさんの学びをもたらしてくれるので、私は気になったことがあると小さなノートに書き留めるようにしいます。今日は記録の意味もこめて、まとめてみます。 <聖書; ヤコブ4章1~10> 戦いや争い: 自分の中にある戦いたいという欲望が引き起こす。欲しても手に入らないと 人は争い、戦う。 争いや戦いにつかれているなら、まずは、自分の中にある戦いへの欲望をみつけ、感じ、向き合うことが必要ということです。 また、手に入らないものがあると、それを持っている相手を妬んだり、羨んだりして、人間関係がぎくしゃくします。自分にないものではなく、持っているものに意識を向け、感謝するようにすればここも落ち着きます。 <江戸時代の遊女、太夫の人となりについて示した文書から、彼女たちの長所> おせっかいはしない 親しきに仲にも礼儀あり 時間をかけて人を成長にみちびく 気持ちを繊細に 物言いを簡潔に おしゃれ、ファッションやみだしなみに繊細な気を遣う 立ち居振る舞いが安定し、歩けばすらっとするーー>歩く時もバタバタと怒ったように音をだしたり、ドアをバタンとしめたりすると、小さいときによく両親に怒られました。それはこういう意味だったのだなと大きくなってわかるようになりました。特に女性で、出社してデスク回りをバタバタしながら大きな音をさせてバッグをデスクの上においたり、ガンガンマウスを音をたたせたりすることは、まるで自分には余裕がなく、乱暴な人間であると 表明しているようなもので、ととも損です。物にも意識と心がありますから、いたわりをもって扱えば、必ず返してくれます。愛情をもって、机にも PC にも接し、何だったら愛撫するように触れてあげてください。 Trust me, it would make a huge difference… 私はこれで、まずいなと...