今の時代が、統合の時代である、とよくいわれます。
追記: もののけ姫で、思い出したことがあり追記。サンこと、もののけ姫に惹かれる二元社会の男性はアシタカ。足利尊氏、南朝を滅ぼした人物ですので、その辺りの意味を込めているんでしょうね。しかもアシタカはエミシ一族を率いる王位を継ぐもの。エミシとは、蘇我蝦夷という、これまた二元社会を日本で推進させた人物です。聖徳太子の時代、日本は仏教を導入させ、日本の近代化が進められました、これに対抗したのが古神道の伝統を引き継ぐ物部氏。彼らを潰したのが蘇我蝦夷です。
これは、神性と人間一人ひとりの統合です。スピリチュアリズムが現代においてまがい物とみなされがちなのは、現代科学と西洋啓蒙主義において、神性と個々の人間を分離させることが支配のために必要不可欠だったからです。
カトリック教会が中世から近世にかけて、権力者としての支配基盤を築くために必要であったのは、魔女狩りでした。これはたとえば、イギリスにおけるドルイド教の駆逐です。ドルイド=魔女、魔術師たちは、生活に根ざした神性との媒体=ミディアムであり、万物に命が宿っていると考え、人間が宇宙=神と一体であると考え、自然の一部として調和した生活をいとなむレムリア文明の基盤でした。
神とすべての人がつながる体験、つまり、魂と身体が一体化する体験を共同体で祭りにおいてシェアするための媒体であったシャーマンたちは、たとえば日本においては古神道における巫女や、沖縄におけるカンカカリヤ(ユタ)、ネイティブアメリカンにおけるシャーマンなど、世界中のレムリア文明の継承者と同じ役割を担っています。
彼らは、人間のうちに神が宿る、つまりすべては一元であることを象徴する存在。彼らは、二元的世界に世界が移行していく中では、二元的世界における権力者にとって邪魔者でした。そうして、二元的世界では神は民から奪われ、権力者である王と、王権に正当性を与える教会のみが神とつながる特権を有しているというマヤカシを流布させ、民の支配を徹底させることになったのです。
かくして、自然と一体化し、神と一元であった異教徒的な西洋=アトランティス(レムリアと同じ時代のヨーロッパ地域はアトランティスです)の時代が終わり、封建主義社会が確立され、近世、近代へと二元社会の「進歩」が始まります。
そうした中で、科学と資本主義は、三位一体=トリニティという形で、神=精霊=キリストという形で自然と完全に隔離された近代的な神は、人間を特別なものとして自然から分離し、かつ自然を支配するものとして設定したことと、金という想像の富を作り出し、権力者に金が集中することによって人々を支配するシステムが確立されたことにより、科学と資本主義が発達しました。
二元社会の進歩です。
この一元文明と二元文明の争いが、色濃く出ているのが日本においては南北戦争です。
武家社会は、日本においては土地と農民をひもづけ、人々を定住させてゆきました。彼らは、西洋における王族のようなものです。そして朝廷が教会。レムリア時代の日本においては、共同体で耕して得られた糧も、耕す土地も、みんなのもの。これを権力者のものにし、租税という形で民が搾取されるシステムを支えたのは、人々から神と一体になる一元性=レムリアの知恵を奪い、神と繋がる機会を奪う二元文化の徹底でした。これが、もののけ姫的な存在や共同体の駆逐です。
さて、そのような農耕封建社会において、邪魔になるのは、定住せず、農耕を仕事としない自由業者たちです。白拍子などの芸能に携わるもの、旅をしながら皮をなめす職人、狩人、といった人々は、農耕社会化して行く日本の中で、自由に旅をすることのできる、関所文化に縛られない移動の自由を持っていました。彼らの身分を保証していたのが実はミカドだったんです。だからこそ、いまだに京都は手工芸の中心地。彼らは、農民に課せられる重い税金も免れていました。ちなみに、彼らを日本で研究したのが、網野善彦さんなどの、イタリアのアナール学派などの、文化人類学に影響を受けた新しい歴史学の人々です。かれらは、イタリアにおけるベナンダンティ、農民の間に残っていた異教時代のレムリア的な歴史を掘り起こしたアナール学派などとまったく同じ視点で、日本におけるレムリアの記憶を掘り起こしました。
ここに書いてある後醍醐天皇と南朝と、手工芸や芸能などの一芸や特技を持った人々の庇護の関係と、彼らの特権を駆逐する形で近世日本が確立された過程は、すべてそれら70年代以降盛んに研究されている日本におけるアナール学派の流れを受けた歴史学者の論文にきちんと論じられさまざな資料から裏付けられたものですので、大手書店にいけばそれらの論文を収録した本を簡単に手に入れることができます。
ミカドによって治外法権的な立場を与えられていたかれら自由業者たちは、南北朝時代がおわり、事実上後醍醐派が負けることによって、完全に社会から排除されることになり、ミカドに保護され、租税免除や移動の自由などを持つ特権階級であったかれらは、その特権を奪われることになり、かつ、定住農民からその特権により羨望の対象であったことから彼らは、一気に特権階級から差別の対象となります。これがすなわち、日本の被差別部落のはじまりです。網野氏をはじめとした歴史学者は、差別される人々がもともと特権階級であり、彼らの庇護をする権力の構造が崩れたことにより長い差別の歴史が始まり、彼らの差別によって定住と農耕と従順な民である価値観を徹底させる支配構造が確立された過程を明らかにしています。
もののけ姫は、わかりやすくいうと、南朝に守られたもののけ姫と、北朝についた武家社会の対立を描いた映画です。宮崎駿監督はこのあたりのことをよく研究されているので、常にレムリア文明のことを描いています。ゲド戦記も、ドルイド=レムリアとアトランティスを描いたものですね。ゲド戦記は、アトランティスが崩れて行く過程を描いた物語です。
さて、後醍醐天皇は、彼ら自由業者の持つネットワークを使って独自の情報網を持ち、吉野においてレムリアを復興しようと頑張っていました。
その伝統を今に受け継ぐのが、わたしがよく呼ばれていく天川です。
南北戦争に負けたため、今後政治の政=まつりごと、からは手を引き、芸能の祭り事=マツリゴトに徹すると約束して、細々と生き延びることを許された人が、吉野に点在して残り、天川などの芸能の中心となり、かつ修験道にもその知恵が引き継がれています。
ただ、芸能に徹することで、実は最大の勝利を南朝側は手にしていたことを、完全に二元化していた北朝と武家社会は気づけなかったんです。
それは古神道=レムリアの最大の特徴であり、強みでもある、一元性の知恵と伝統。舞と祝詞によって、神と一体化する和合です。
六根清浄、人間を含めた、自然界のすべての根源は同じであり、かつ清らかな神であるということを今に伝えています。
そしてそのパワーに引き寄せられ、数多くの表現者、自由人たちが天川に引き寄せられ、一元性を取り戻して二元社会に戻ってゆき、創作物や発信するメッセージを通して一元性の記憶を覚醒させる役割を果たしています。
私がまさにそうです。
レムリアの知恵はどこよりもはっきりとかつ体系的に、日本の古神道に残されています。実は日本はレムリアの中心地なんです。
和、空気を読む、あうんの呼吸、こういったものはレムリアの名残です。言葉のいらない、心と魂のコミュニケーションで成立した世界。
そういえば大学時代勉強していたそんなことをすっかり忘れていたので、さっとここに書いてみました。
さて、レムリアの魂は大挙していま転生してきています。そう、彼らがレムリアンシード=インディゴや、クリスタルです。
彼らは、自分らしくあることが宇宙にとって最大のプラスである、ということを基盤に生きて行く魂です。かたや現代社会は、こうあらねばならない、という、恐怖と不安感で型に嵌める社会。
ネイティブアメリカンの親は、子供を叱らない、という伝統があり、叱る立場は長老や親戚に任せるそうです。それはなぜなら、親の最大の仕事は、まずは子供に愛を与えることだから。
なぜなら、子供は親の波動を感じて子供として生まれ、魂がその体を選び転生してきているのだから、まずはわたしたちを親として選んでくれてありがとう、君は自分らしく勇気を持って生きればいいんだ、ありのままでいいんだ、という無条件の愛を与えることではじめて生き生きとできるから。
そんな魂を、こうあらねばならないと決めてかかりしかりつづけ。きちんと愛を与えないタイガーペアレンツが育てたら悲劇的な結果を招いてしまいます。
常に愛を持って、、、。
最後に、天川の五十鈴の写真。この音は、神とつながる和の波動をかなでます、レムリアです。
忘れないで、あなた自身が神であり、宇宙と一体であり、宇宙そのものであることを、おもいだしてください。
追記: もののけ姫で、思い出したことがあり追記。サンこと、もののけ姫に惹かれる二元社会の男性はアシタカ。足利尊氏、南朝を滅ぼした人物ですので、その辺りの意味を込めているんでしょうね。しかもアシタカはエミシ一族を率いる王位を継ぐもの。エミシとは、蘇我蝦夷という、これまた二元社会を日本で推進させた人物です。聖徳太子の時代、日本は仏教を導入させ、日本の近代化が進められました、これに対抗したのが古神道の伝統を引き継ぐ物部氏。彼らを潰したのが蘇我蝦夷です。
しかし、聖徳太子本人が、レムリア的な性格を色濃く体現した、魂と身体が一体化した神性を体現した人物だったとみえ、そのパワーに、気づきながらも二元かとレムリアの駆逐を進めた、一元から二元への、移行期の、蘇我蝦夷という複雑な人物の名前を課されているるのが、面白いですね。
権力者は常に、一元のパワーを知っています。だからこそそのパワーを自分達に限定しようとします。イルミナティが世界を牛耳ってるなんて言われるのもそれが所以ですね。
そのアシタカは、神を殺します。神と人は二元であることから、科学によって進歩するときめる人類の象徴。いっぽう、もののけ姫であるさんは、レムリアの巫女であり、神と一体です。精霊と話し、神の一部であり、自然の痛みを感じます。サンとアシタカは、惹かれあっても一つになることはできません。
世界が二元である時代のうちは。
いまは二元ですから、大丈夫ですね、笑。
追記2:
2021/7/25 この記事が毎日一定人数の方にお読みいただいているので、久しぶりにこの記事を見たら、意味不明な箇所があったので、編集しました。
数年前に書いたものだと、自分の気持ちもアセンション段階もだいぶ変わってきてますからね。。。
ちょっと昔の記事を整理した方がいいのかもしれませーん。
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