ニュースって、遮断するのが難しかったりしますね、意図的に、
テレビのニュースをつけない
Yahoo!ニュースを開けない
とやらないと、
目に入ってくる。
ニュースって、基本的にネガティブなことだらけ。
1しかないことは何千倍何万倍に悪くして、
悪さをmagnify拡大増幅 して、伝えます。
なぜか。
人々の恐怖を煽ることが、古い時代の、アセンションする前の地球のメインのシステムだったからです。
でも、人間は進化しました。
もう、自然界で生きて、他の生き物に食べられる心配なんてないんです。
ニュースを見ないでください。
あなたは、もう恐怖に突き動かされる必要はないんです。
ニュースの作り出す不安、恐怖、焦燥感は、すべて紛い物であり、フィクションです。
聞いてはいけません、見てはいけません。
そうすることが、地球を新しい時代に向けて、変化させる動きを加速させます。
不安を煽れば煽るほど、視聴率がとれ、広告料が釣り上げられる。
人は、不安感から、たくさんの消費をするようになる。
危機を起こせば、リスクを商品化した証券が売れる。
危機を意図的に起こして増幅増大させないと、もう高度に資本主義化した社会では金融ももうからない。
そうやって資本主義をイベント=危機によって盛り上げるシステムです。
でも、要するに不買運動をやれば、長い目で見てそのシステムは変わらざるを得なくなります。
人々の心はかわりました。
昔は何の気なしに見ていたニュースでも、なんでこんな報じられ方なの?と疑問視する声がネットでたくさんあげられるようになりました。みんな、気づき始めています。
ニュースやテレビや、危機と恐怖を売り物にするすべての映画や、コンテンツをシャットアウトしてください。
そうすることで、世界はがらっとかわります。
というより、もともとそうだった、自分は騙されていたというか、ある種の恐怖催眠術にかけられていた、メディアというフィルターを通して世界を見ていたにすぎず、ありのままの世界はずっとほこにありのままとしてあったことに気がつくはずです。
私はメディアでニュースがどのように作られるかをよくよく知っています。どれほど、恣意的にネガティブが強化され生産され増幅されるか、よくわかっています。その中にいる人も、それを見ている人も、体も心も、蝕まれて生きます。
そこから自分を切り離した途端に、すべてが良い方に変わります。
ニュースの現場では、大きな災害が起きると、億単位のお金が投じられ、ヘリをチャーターし、数百人規模で現場にスタッフを投じ一人一人が、寝る間を惜しんで、
「良い影像」= scoopを撮りに血眼になります。
被害者・被災者にあうと、
意図的にエモーショナルになるような質問を投じ、
大したことないよ、というコメントがあると、
使えねーな、と、カメラマンは思い、カメラを回すのをやめてしまいます。
涙を流しそうな人につい暖かい言葉をかけようものなら、その記者やディレクターやスタッフは上司にどやされます、もったいないことすんなと。人が泣いてるのが何より数字に繋がるんだと。だから声をかけずに泣かせて涙の映像を撮ってカメラマンに思いっきりアップにさせろと。
不思議に思うなら、ニュースで誰かが泣いてるところが出た時に、注目してください、必ず、みんながだまり、カメラはその涙に寄ることで、悲しみと辛さを増幅させて伝えようとしているはずです。
フラッシュの数が増えるはずです。
その場にいる誰もが、いまだ!視聴率だ!出世だ!金だ!と、その悲しみ苦しんでいる人の思いとはまったく関係のない力学で、辛さや涙がクローズアップされますから。
その例外のない、ある意味単純バカな表象のテクニックに気づいた時、あなたは気づくはずです。
なんて、浅薄で空疎で、白々しく、恥ずかしげもなく下世話で、人を低俗なものと決めてかかっている世界観なんだと。
でも、その映像や写真のテクニックは、単純だからこそ強烈な効果があり、その悪意に気付くまでは、まんまとその罠にハマってしまうのです。しかし、基本的に子供騙しのテクニックですから、一旦、シャットアウトすると、決めた人の前には、なすすべなく敗退するのみです。
要するにあなたの決意一つに、かかっているのです。彼らのゲームから降りること、ゲームをいーちやめた!といえること。必要なのはそれだけ。highway to hell から降りるために必要なのは、あなたのポジティブな意志、それだけです。
そうやって、辛い思いをしている人の傷口に塩を塗るように「数字を取れる」映像が恣意的に収穫されて、ためられ、編集され、反復され、ナレーションと音楽で強化され、時にはスローモーションによって視聴者の記憶に刻まれるのですから、完全に「現実」とは切り離された、作られたストーリーがニュースになるのです。
事件であれば被害者の家や周辺の家を昼夜を問わずにピンポンしまくり、かたっぱしから電話帳の番号に電話をかけまくり、
個人情報など御構い無しに容疑者の学校の卒業アルバムを探しまくります。
台風がくれば、スタッフが現地に電話をかけまくり、地元の方の迷惑も顧みずに、一番雨風が激しいところに中継班を派遣します。だから、現実よりもより一層悪いものと、見る人に思い込ませ、恐怖を煽るのです。しかも繰り返し、一日中流し続けます。
人は死に、人は生きます。
つらいことも、幸せなこともあります。
弔いを行うことで、ひとつの辛い死に終止符を生き、自らの生に感謝をし、心を新たにあしたに向かう儀式を人類は作り上げてきました。
しかしメディアは、高度資本主義経済が生み出した怪物は、死とネガティブな側面を照射し、拡大して、繰り返し放送し続け伝えることで
傷が癒える機会を喪失させ、より新しく大きな傷口を社会に植えつけて生きます。
終わった災害や辛い出来事をくりかえし蒸し返し人々の心から忘れられないようにします。それぞれの危機に様々な利害関係団体が作られていきます。そこに政治家が群がります。
それは弔いでもなんでもなく、むしろ弔いの機会を人々から奪うことです。
不死の死、という恐ろしいものを生み出してしまったのが現代社会です。
死を遂げた人は、ネットでも電波でも、死んでも死にきれずに、残された不特定多数の多くの人を悩ましつづけることになります。
それはメディアの人が言い訳にいうような、再発防止などになるどころか、むしろ、類似の事件や出来事を呼んでしまいます。
なぜこんなことをやっているのだろう、その空疎で無為で、害悪しかまきちらさない、恣意的な「現実の構築」という詐欺行為を、中にいる人たちはわかっています。
それでもの歯車に入ってしまったら、ハツカネズミのように走らされ続けないといけないのです。
人々の不幸とネガティブを探し求めて太り続ける廃人のような、ハイエナのようになりながら。
どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
理由は簡単です。
人々を落ち込ませ、不安にさせ、怒らせ、焦らせる、つまりネガティブにするためです。
焦ったり不安になれば資本主義が推進する「安心するためにはセキュリティシステムを何百万もかけていれないといけない」という宣伝にのり、お金が使われます。
不安でストレスがたまれば、抗不安剤を処方してもらい、製薬会社の利益になります。
将来の不安があれば、変額制年金保険に投資したくなるでしょう。
すべては、あなたを病気にし、無駄に消費し、浪費に駆り立て、資本主義を回すために行われています。
銀行に貯めたお金は逆に、無駄にリスクマネーに投じられてゆきます。
だから、テレビをつけないようにしてみてください。
つけるなら、ポジティブな映画か、
YouTube のアファメーションビデオをキャストして、ポジティブなもなだけがスクリーンから放出されるようにしてください。
そうすると、体調も良くなり、睡眠導入剤もいらなくなり、出費もへり、だんだんと、幸せな気持ちになっていきます。
電車に乗れば、ニュースに突き動かされたネガティブ軍団に、囲まれますから、スマホでもアファメーションの音声を流して、ヒーリング音楽をかけたりしながら、ひたすらアファメーションを頭の中で念じ、笑顔でいるようにしてください。
私は幸せ。
わたしは恵まれている。
わたしはイマココにいる。
わたしはこの安定した日々、この安定した国に住んでいることに、感謝し、ハッピーです。
わたしは豊かです。
日々豊かさがわたしのもとに流れ込んできます。
わたしの未来はどんどんよくなります。
わたしは、ポジティブな思考に切り替えるために、日々努力しているからこそ、ポジティブなことをどんどん引き寄せています。
このようにして、世界はポジティブとネガティブ系に二分されていっています。 早く気づいた人の方が、早くネガテイブのマトリックスから抜けられます。
あなたはどちらを、選びますか?
世界は、こんなにも美しく、平和と豊かさにあふれているのです、それをみて、受け止め、楽しみましょう。
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